「私に似合わないから」をやめてみる
5周年、おめでとうございます。ミモレなら「本音」が言える。ミモレなら「弱音」も言える。自分の、日常の「リアル」を愛おしいと思わせてくれる記事づくりに、エディターとして、ライターとして、じつはずっと「ジェラシー」みたいなものを感じていました。それはいったいなぜだろう……? 最近になって気づきました。大人は素敵であるべき、大人は素敵でなくちゃ。自分の中で創り上げた「理想形」に自分を閉じ込めていたことに。だから、そうじゃない可能性を見せて、それでもいいじゃない? と感じさせてくれるミモレに、嫉妬していたのだと。
私の場合は、ずっと伸ばしていた髪を切ったことで、自分でも驚くほどに、いろいろなものから解き放たれたのを感じています。中でも大きいのは、「似合う」からの解放。私には黒の服が似合う。私にはパンツスタイルが似合う。私にはベージュの口紅が似合う……。もちろん、今もその思いは変わらない。ただ、似合う=落ち着くという概念は、ある意味、とても消極的で、受動的なことだと気づいたのです。もっと積極的で、能動的な「好き」という感覚を忘れていたんじゃないか。素敵という理想形からはみ出さないようにと毎日を積み重ねているうちに、無難とか安心とかいう「失敗しない」を優先させていたんじゃないか。
「私に似合わないから」をやめました。「私が好きだから」を始めました。すると、小さな小さなときめきが、毎日毎日生まれています。「似合わないかもしれないけれど好き」な服を纏うと、不思議とどきどきする。「似合わないかもしれないけれど好き」な口紅を塗ると、不思議とわくわくする。失敗するかもしれない、まわりは「?」と思うかもしれない、でも、私が好きだから、は自信になる、どこか堂々としていられる。「髪を切って、変わりましたね」と声をかけてくださるのが真実だとしたら、そのどきどきやわくわく、そして自信が表情に出ているからなのかもしれません。
よく言われるのです。「髪、もっと切るんですか?」「髪、もう伸ばさないんですか?」。答えは、「さあ、どうかなあ?」。切るかもしれない、伸ばすかもしれない、そのときの私に好きかどうか、聞いてみないとわからない。だって、好きという気持ちに正直でいれば、何でも挑戦できそうだから。そう、今、自由になれた自分を感じているのです。
素敵や綺麗といったポジティブな言葉は、意味や定義をひとつのベクトルに向けがち。でも、その解釈は無限にあるし、誤解を恐れず言うなら、素敵じゃなくても綺麗じゃなくても、いいのだと思う。髪を切って、ほんの少し、素直な大人になれた気がします。
ポジティブに向かいがちな概念や言葉に、無限の解釈を。ミモレならそれができる。これからのミモレに、ときめいています。
インスタライブに関しましては、予定通り
2月28日(金) 18:30ごろより
ミモレアカウント@mimolletにて配信いたします。
美容エディターの松本千登世さん、メイクアップアーティストの水野未和子さんをお迎えして、「大人のメイクのマンネリ打破」についてお話しいただく予定です。どうぞ皆さま、インスタグラムよりお楽しみください。
(編集・川端)
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