酒井順子さんによる書き下ろしエッセイ。見えない恐怖と闘うコロナ対策による生活の変化とともに、次々と露呈する家族の問題、在宅ワーク問題。“在宅勤務”のプロでもある酒井さんが、今あらためて感じたこととは……。

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妻が計画を立てて買っておいた食材を勝手に食べ尽くしてしま う夫


新型コロナウイルス騒動の中、最初の頃は、
「気をつけなくてはならないのは、高齢者と、持病がある人だけ」
「若者は感染しないことが多いし、しても軽症」
といったことも言われておりました。

その時にふと、「じゃあ私は大丈夫かな」と思いかけてしまった自分に、恐怖を覚えた私。次の瞬間には、自分の年齢が「若者」と「高齢者」のどちら寄りかと言ったら、明らかに後者であることに気づき、勝ってもいないのに兜の緒を締め直した次第です。

見えない恐怖が迫り来る中で私が最初に思ったのは、「これを親が知らなくてよかった」ということでした。親が存命であったら、どんなに心が乱れたことか。既に親が他界している友人知人も、口を揃えて、
「親がいなくてよかった」
と言っています。

対して、親御さんがお元気な友人知人達は、心配が尽きません。トイレットペーパーを親の分も探し回って買い与え、マスクをいやがる父親(なぜかおじいさんって、マスクをつけない人が多いですよね)に無理矢理装着させ、家にいるようにと懇願。感染していても無症状の人もいるとなると、自分も子供も親には会わないようにしているという人もいます。介護中の人は、デイケア施設が休業したり、ヘルパーさんが来られなくなったりと介護負担が急激に増えている。

同時に、50代は子供のことも心配をしなくてはなりません。50代は、若者世代の親です。そして若者といえば、緊急事態宣言が出されてもフラフラ遊びに出たり、つい帰省してコロナを東京から故郷に持ち帰ってしまったりという行動が問題視されたのであり、既に20代にもなっている子供を、
「アンタちゃんと家にいなさいよっ」
と叱責しなくてはなりません。

親の心配と、子の心配。50代は平時より家庭における中間管理職的な立場にありますが、その責任と負担は、コロナ時代となって普段の時以上にずっしりと重くなったのです。

のみならず、在宅勤務が推奨されることによって、夫がずっと家にいるようになったケースも多く、これが女性達には大きな負担となりました。妻が計画を立てて買っておいた食材を勝手に、それも大量に食べてしまう。家事は手伝わない。そして単に存在するだけで、カサ高くて鬱陶しい。

家族のメンバーが毎日在宅するようになって、男性から女性へのDVが激増したそうですが、
「私も夫を殺したくなってくる……」
と言う妻の、何と多いことか。

夫婦共に会社員という家庭では、一家に二人のリモートワーカーが存在することになり、
集中できないことこの上ありません。相手の様子からは、普段の仕事ぶりもそこはかとなく理解できて、
「夫がいかに閑職についているか、よくわかった」
と言う妻もいましたっけ。

 


ネット会議の悲喜劇も、在宅ワークの寂しさも


増加したネット会議も、当初は様々な混乱をもたらしました。
「自宅だと思ってついうっかり眉毛を描いていない状態で会議に参加して、会社の皆をびっくりさせてしまったのよ! 家にいるのに眉毛を描かなくてはならないなんて……」
とか、
「外出自粛でずっと美容院に行けていないので、白髪も髪型もひどい状態。ネット会議用にかつらを買いたい」
といった悲喜劇がそこここに。

在宅でネット会議をするにあたっては、ネット環境を整えなくてはなりません。パソコンの知識が僅少であるということをそれまで必死に隠して仕事をしていた50代も、ついにその事実が白日のもとに晒されることに。若手社員からは迷惑そうな顔をされ、
「もうアナログ社員は不要だ、っていうことが身に沁みてわかった」
と、落ち込む人もいました。

在宅勤務という勤務体系も、アナログ世代のベテラン会社員にとって、慣れるまでが大変だったようです。
「家の椅子は、仕事には向いてないのよ。腰痛になってしまった!」
「仕事は家でもできるかもしれないけど、同僚と雑談したり、誰かとランチを食べに行ったりできないのが辛い」
「宅配便が来たりすると集中できないし、そのついでについテレビ見たりおやつ食べたりしちゃって、コロナ太りに」
ということで、ここにきて、
「酒井さん、よくずっと家で仕事をしていられるわね」
と言われることが増えてきました。

確かに私は、生涯一在宅勤務者(ノムさん風に)ですので、コロナ後も、勤務形態はさほど変わっていません。会食やら出張やらイベントやらは中止になりましたが、基本は普段と同じ。仕事中に雑談しないのも、仕事中に宅配便を受け取ったりセールスを断ったりするのにも慣れているのであり、
「みんなもそのうち慣れる」
と言っているのです。

そんな中、私がこのコロナ禍で思ったことの一つは、語弊を恐れずに言うならば、「何か、普段より楽だ」ということなのでした。コロナに対する恐怖心はもちろんあるのですが、それを除くと、心が意外に平安であることに気づいたのです。

 
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