「根暗は罪」からの解放


それは何故なのかと考えてみますと、本来内向的な私にとって、「外に出なくていい」という事態はとくだん悲劇ではないからと思われる。

基本的に、黙っていることが得意な私。しかし、同時に運動好きだったり夜遊び好きだったり旅好きだったりするので、今まで「活動的」「好奇心旺盛」などと誤解されることがありました。

しかしそれは、高校生の時「私の地味で怠惰な性格を放置しておくと、人生であまり面白いことが起こりそうにないなぁ。でも、自分から積極的に動くタイプでは絶対にないから、とりあえずは何かに誘われたら『断らない』ってことにしよう」と方針を決めてみたら、たまたま近くにいたのが学校を代表する外交的な人ばかりであったため、夜の六本木やら真夏のハワイやら男子校との飲み会やらに連れ出され、それは楽しくなくもなかったので誘いに乗り続けてきたらこうなった、という流れ。

我々の青春時代は、「根暗は罪」とされていました。今の人に「根暗」と言ってもわからないでしょうが、つまりは性格の根本部分が暗いということ。私は明らかに根暗でしたが、世の中全体が発情し、楽しくてなんぼ、明るくてなんぼという八十年代に、堂々と根暗を表明する勇気はありませんでした。

今であれば、非リア充の腐女子であることも、「一つの分野に詳しい」「妄想力が尋常でない」というセールスポイントになりましょう。が、当時は女が根暗であっても何ら得はありませんでしたし、昔も今も私はただ明るくないだけで、腐女子ではないのです。

かくして若い頃の私は、友人知人の誘いに調子よく乗っているうちに、ガングロ茶髪(でもメガネ)という風態になり、暗いけどリア充という青春を過ごしました。さすがにガングロは25歳で引退しましたが、その後も自分の本当の性格を隠しつつ生きているうちに、あっという間に30年が経ったのです。大人になれば、「人と接するのが苦手」とばかりも言っていられない事態も増え、いよいよ「普通に人と話もできます」というフリを続けざるを得なくなってきました。

そんな中で勃発した、新型ウイルスの流行という事態。外に出る用事が次々と中止になり、「家の中にいてください」となった時に、はたと理解したのは、
「私、今までずっと、無理していたのだなぁ」
ということでした。

明日は会食、明後日は出張、という日々にも充実感は覚えていました。が、それらが全て中止となっても特に辛くはなく、むしろほっとしていた私。友人の中には、
「おしゃれして、素敵なレストランに行きたくてしょうがない!」
とか、
「皆で集まっておしゃべりがしたい!」
と身悶える人も多いのですが、自分はその手のことをしなくても平気。正々堂々と家にいてよいという状態に、安寧を感じていました。


笑いたくないときに笑わなくてもよい


前述のように、根暗が罪悪視された発情の時代に青春を過ごした私。友達いっぱい、スケジュールもいっぱい、ということがまさに「充実」とされていました。

バブルが弾けると、今度は国際化とIT化の時代がやってきます。すると実社会であれネット社会であれ、好奇心を持ってどんどん外に出て行って他者と繋がるべき、ということに。

それは同時に高齢化の時代でもあり、好奇心を持って他者と繋がるための努力は死ぬまで続けなくてはならないという風潮も、強まってきます。インスタで日々発信するようなおばあちゃんが素敵とされるようになり、そんな中で「一生、暗くないフリをし続けなくてはならないのか」とため息をつくことも。

ところがコロナ期間中は、国からのお墨付きで、引きこもっていることができるのです。
「外へ出なくては」「社交的にならなくては」というプレッシャーから、自由になることができました。

スポーツや夜遊びや旅といった、外向きに見える行為が好きな私ですが、それらはコミュニケーションの為にしていたわけではないことにも、気がつきました。私はそれらの行為そのものが純粋に好きなのであって、行為に没頭することができれば、一人でも全く構わなかったのです。

そんなわけで、コロナによる引きこもり要請は、天からの「ちょっと休んでなさい」との指令だと受けとめることにした私。せっせと社交をしなくとも、笑いたくない時に笑わなくてもよいという事態を積極的に楽しみ、再び社交が世に戻ってきた時、またちょっと無理することができるように、力を蓄える時期だと捉えています。

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「コロナと50代」は後編へ続きます。後編は5月26日(火)公開予定です。

 

前回記事「次に私にできる仕事【3つの「キン」・後編】」はこちら>>

 
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