酒井順子さんによる書き下ろしエッセイ。終わりの見えないコロナ禍の中、多くの人にショックを与えた有名人の訃報。より死を近くにあるものとして感じたとき、あらためて考えることとは……。

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「メメント・モリ」はペストの流行から


コロナ禍においてもう一つ、我々が考えるようになったこと。それは、死の問題でしょう。志村けんさんが感染したニュースからほどなくしてその訃報に接し、私は心臓のあたりにひんやりとしたものが押し当てられたような気持ちになりました。子供時代、ドリフの「8時だョ! 全員集合」は、我々世代の視聴率がほぼ100パーセントと思われた番組。毎晩8時に寝ることを義務づけられていた私も、この番組が放送される土曜日だけは、9時まで起きていることが許可されたのです。

志村けんさんといえば、荒井注さんの代わりにドリフに入ってきた「新人」というイメージが、未だに私の中にはあります。永遠の最若手であるはずの人が、こんなにもあっけなく逝ってしまうことが、「全員集合」世代の私にはショックだった。

志村けんさんの死は、自分の死を考えるきっかけともなりました。自分もいつ、ウイルスに感染するかわからない。そして感染したならば、死に至る可能性もある。どうやらこのウイルスは、悪化するスピードがとても速いそうだから、入院しても自宅に戻ることができずそのまま……、ということもあるかもしれない、などと。

50代は、死について真剣に考え始める年頃ではあります。そんな時にコロナ禍に見舞われたことによって、私達はさらに自らの死を近くにあるものとして凝視することを、余儀無くされたのではないか。

「メメント・モリ」、すなわちラテン語で「死を思え」という言葉がありますが、この言葉が生まれたのは、14世紀にヨーロッパでペストが流行した時でした。次々と人が亡くなり、遺体を道端に放置せざるを得ないような状況を目の当たりにして、人々は自らの死を思うこととなったのです。

そして今、地震や台風のことは警戒していても、「伝染病(今は感染症と言うそうですが)だなんて、今の時代にあり得ない」と思っていた我々のところに、伝染病がやってきました。子供時代のお笑いのヒーローがその病に連れ去られたことによって、「人は死ぬ。自分もまた」という事実が、迫ってきます。

コロナによる引きこもり期間中、普段は手を出さない場所の掃除に精を出して不安を忘れようとしている人も多いことでしょう。そんな時、たとえばフローリングの板と板の間に挟まった一粒の胡麻を楊枝でほじくり出しながら、「自分が今、死んだならば」と、あなたは考えなかったか。

自分は今まで、何をして生きてきたのか。何のために生きてきたのか。死して後、何かのこるものはあるのか。嗚呼、私は今までよくない人間であった。‥‥と、答えは出ないけれど、コロナは我々に、考えるための時間は、与えたようです。

阪神淡路大震災や東日本大震災もそうでしたが、非常事態は直接の被害を受けていない人をもいったん立ち止まらせ、自らを見つめ直す機会をもたらすのでした。私はこれでいいのか。結婚したい。離婚したい。転職しようか、等々。

今、膨大な数の人々が「自分も感染するかもしれない」「死ぬかもしれない」と考えていることでしょう。さらには仕事の不安、家族の不安も、迫ってきます。東日本大震災から9年が経った今、天は今一度、人に「自分を冷静に見て、考えよ」と言っているかのよう。

 


「予定調和」ではない不安と新しい感覚への期待


現時点で、新型コロナウイルスの問題は、終わりが見えていません。テレビをつければニュースもコロナ一色で、見ているだけで陰鬱な気分に。ニュース番組の中で唯一コロナとは無関係のお天気コーナーでも、「せめてこんな時は、お天気コーナーくらい元気にしなくては」という意気込みが伝わってきて、痛々しい気持ちになってきます。

そんな時、テレビで最もほっこりできるのは、お笑い番組でもなくドラマでもなく、通販番組でした。通販番組において出演者達は、その商品を使うことによってあなたの人生は薔薇色に輝く、と口を揃えて絶賛します。どのような商品も常に在庫は僅少で、お早めに注文しないと、薔薇色の人生は手に入らないかもしれないのです。

それは、確実に「終わりが見える」番組なのでした。商品は常に最高の品質であり、それにケチをつける人もいなければ、論争も巻き起こらない。出演者は皆、元気で感じの良い笑みを浮かべ、最後は「お電話、お早めに!」で終了するという、「想定外」が一切無い展開が、今の私には安心をもたらしてくれました。

しかし考えてみると、先が見えないのは、人生も同じ。いつかは死ぬけれど、いつ、何が原因で死ぬかは、わからない。だからこそ死を思えば、不安が募る……。

今回のコロナ騒動がもたらす不安は、人生の不安を濃縮させたようなものなのかもしれません。通販番組のように予定調和で終わりたくとも、それまで経験したことのないことが突然、そして次々と起こり、それがいつまで続くかわからないということがまた不安、という。

ペストが文学や芸術に様々な影響を与えて新しいものが生み出されたように、今回もまた、時代に急ブレーキがかかったことにより、新しい感覚や現象が、生まれてくるのでしょう。人生の後半にそのような事態が発生するとは思ってもみなかったことですが、その成り行きを見ることができるよう、そして自分の中の変化をも見ることができるよう、今はしばし、引きこもっていられる時間に、身を委ねたいと思います。

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