「家族の絆」ばかりが尊重される社会はしんどくなる


凪良さんの描く家族が、なぜカッコつきの「家族」なのか。それは『流浪の月』の更紗と文よろしく、家族との縁が薄い登場人物たちが象る、血縁のない「家族」だからです。

凪良:私自身が家族の縁がすごく薄いので、過不足ない血縁の家族がずっと一緒に幸せに暮らす……というのが、よくわからないんですよね。血縁とは違うものに助けられて生きてきたので。

小説、映画、ドラマ、マンガなどの創作物でーーそしてもしかしたら現実でもーー多くの問題解決の万能薬のように言われる「家族愛」や「家族の絆」。「家族がいれば大丈夫」と無責任に言われることに、凪良さんはどこか違和感を覚えてきたと言います。


凪良:震災以降、「絆が大事」ということが盛んに言われるようになりました。そのことに異論はないんですよ。ただあまりにフューチャーされすぎて、個人的にひっかかるものもあったんです。もちろんそれを信じたい人は信じればいいけど、人間同士が繋がる方法は様々にあるし、家族と限定しなくても共に生きていける社会のほうが自由で動きやすい、小回りがきいていいんじゃないかと思うんです。わたしの実体験からいうと血縁なんて本当にはかないものだし、今、家族という形に満足している人たちも、いつなんどき失うかもしれないし、そのときのためにも価値観は多様であるほうがいいんじゃないか、というのは言いたいことですよね。

『流浪の月』はまさに、更紗と文のそうしたしんどさを描いた作品です。世の中は「家族の絆」を重んじ、そこからはじき出されたふたりは居場所を失っています。

凪良:読者の方は語り手の更紗に同化して、彼女の気持ちや、なぜそうなってしまうのかを理解しながら読み進めると思うんです。でも読後の感想には「私もそういう誤解をしていることが多いんだろうな、気をつけよう」という自分を戒めるものが多くて。物語を通して読者さんと思考を交わらせることができたことは嬉しかったです。

 


何を書いても「上手く世の中に馴染めない人」の話になってしまうのかも


デビューして10年以上が経つ今も、書くことが大好きで「朝から晩まで書いている」という凪良さん。BLも継続して書き続けていますが、それとは異なる一般文芸の「何の制約もない」楽しみを味わっていると言います。その中で「自分がこちらに向かう」と定める指針は、やはり自分の中にあったようです。

凪良:最初は自由すぎて、どっちに向かって泳げばいいんだろうと戸惑ったけど、今はその自由を満喫しています。もういろんな話が書きたい。次回作なんて、隕石が落ちてきて地球が滅亡する話ですから。でもそういう話でも、中身を読めば、いつものわたしというか、上手く世の中に馴染めない人たちの話、みたいなものに否応なくなってしまっている(笑)。ああ、そういう意味では、BLでも一般文芸でも同じかもしれませんね。結局はどんなジャンルに行こうと自分の書きたいものは変わらないんでしょう。
 

 

<作品紹介>
『流浪の月』

著者 凪良ゆう 1500円(税別) 東京創元社 

あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説。

 

取材・文/渥美志保
構成/川端里恵(編集部)
 
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