医療崩壊とパンデミックが始まる最中のイタリア、その最も劇的な時期に書かれた『コロナの時代のぼくら』は、世界的なベストセラー作家パオロ・ジョルダーノさんがロックダウンの日々を記録したエッセイ集。まるで緊急事態宣言下の日本を見るようなその生活から著者が導き出す思索は、混乱する世界を解きほぐすヒントに満ちています。「この本は何かしらの疑問に答えるために書いたわけではなく、むしろ次のパンデミックがこないようにするためのもの」と語るパオロさん。「アフターコロナ」を生きざるをえない私たちが、今こそ考えるべきこととは、一体どんなものでしょうか?
パオロ・ジョルダーノ(Paolo Giordano)
小説家。1982年トリノ生まれ。トリノ大学大学院博士課程修了。素粒子物理学専攻。2008年、デビュー長篇となる『素数たちの孤独』が人口6千万人のイタリアで200万部超のセールスを記録。同国最高峰のストレーガ賞、カンピエッロ文学賞新人賞など、数々の文学賞を受賞した。
イタリア人が統制の取れた動きをしていることに驚いた
日付で言えばおそらく2月29日か3月1日、ちょうどイタリアで感染者が1000人を越えた頃(ちなみにその3日後には3000人以上に)。「これが最後」と自分に言い聞かせて参加した友人宅のディナーで、パオロさんは誰の頬にも挨拶のキスをしませんでした。その当時の友人たちの反応は主に戸惑いで、つまりパオロさんは「ウィルス感染に過剰反応しているヤツ」と扱われたようです。
「感染者が2000人を越えたら自己隔離するつもりでいる」「ふた晩に一度は、妻に頼んで、額に触れ、熱がありやしないか確かめてもらう」ーーパオロさんの行動はおおらかなイタリア人のイメージとは正反対で、他人事であればちょっと笑ってしまうところですが、今の日本には「実は、私も……」という人も多いかもしれません。
パオロ・ジョルダーノ氏(以下、パオロ) エッセイを書いていたのは3月の第1週目ぐらいで、その頃にはパンデミックに至っていなかったんです。むしろ大変だったのは書き上げた後、だいたい一か月半ぐらいの間に、医療崩壊が始まってロックダウンに入りました。そういう中で、イタリア人が統制の取れた動きをしていたことには僕も驚かされましたね。それだけ感染を恐れていたんだとは思いますが、ひょっとしたらステレオタイプな見方を変えるべきかなと。僕自身も変わりましたよ。以前の僕は、常に母に「慎重に!」と言われながら育ったせいか、人前で意見することがちょっと怖かったんです。でも今回は言うべきだと。
素粒子物理学の博士号を持ち、デビュー作『素数たちの孤独』では孤独な人間を「素数」に例えたパオロさん。本作の冒頭では「実体が何であるかは努めて忘れ、さまざまな実体の結びつきとやり取りを抽象化して描写する数学」によって、目の前の状況を捉えてゆきます。
例えば。パオロさんが「感染の核心」とする数字は「再生産数(ひとりの感染者が感染させる人数。1以上なら感染拡大傾向、1未満なら感染収束傾向)」です。コロナウィルスの基本再生産数は2~2.5と言われていますが、実際の数値(実効再生産数)は、個々人の行動によって低く抑えることもできます。
パオロ 数字で不安にならないためには、今、どの数字を見るべきか見誤らないこと。僕は医療の専門家ではありませんが、数学や物理の知識があるので、一般の人よりは分かることも多い。こういう時期に大切なのは、他の人より理解している人が説明することです。それによってみんなの不安を和らげることです。
国から国民に対する説明ももちろん大切ですよね。例えば政府が「とりあえず家にいて下さい」と要請すれば、とりあえずは誰もがそれに従うでしょうが、説明の内容がちゃんと理解できていなければ、やがては従わなくなってしまうんですよ。だからこそ説明し理解してもらうことに力を注ぐべきなんです。
国や政府の能力不足、「お役所仕事」のひどさが露呈した
パオロ 今回の世界的なパンデミックにおける大きな問題の1つは、国ごとにデータの集計の仕方が違うこと。ことイタリアに関して言うならば、国内でさえ州によって集計方法が違ったりもするんです。考えてもみて下さい。天気予報で、気温や風の強さなどを世界の国々が好き勝手な条件で観測したら、データを統合し予測することなんてできなくなってしまいますよね。そういうことがコロナウイルスでも起きていて、情報の正確な把握が上手くいかないという状況はたしかにあると思います。
普通に考えて、より大きな役割を期待されて然るべき国や政府の能力不足も、露呈されたと思います。イアリアは、もともと公的機関の「お役所仕事」ぶりのひどさで有名ではあったのですが、それがより明確になりましたね。
さらに流行が進む中で「パニックを生む原因」とされた数字は、時に隠され、少なめに見えるような別の数え方をされるなどして、さらなるパニックを呼び……繰り返される政府の迷走とそれに対する人々の反応に、とても奇妙な感覚を覚えるのは、似ても似つかないと思っていたイタリアと日本、イタリア人と日本人が、あまりに似ているから。パオロさんは言います。
パオロ おそらくどこの国も、アメリカにしろ、イギリスにしろ、同じなんでしょうね。わりと最近感染症に襲われた経験のある国々、韓国や台湾、香港などを除いては。
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