好きなものを好きだと言う。とてもシンプルなことなんだけど、意外とそれって難しくて。笑われるんじゃないかって周りの目を気にしてビクビクしたり。自分が好きだと意思表明することで、その対象のイメージを下げてしまうんじゃないだろうかと勝手な自意識にがんじがらめになったり。

僕は、長らく好きなものを好きだと言えない子どもでした。今回は、そんなお話です。

 


自分が笑われるのはいいけど、推しが笑われるのは嫌だった


物心ついた頃から、お顔のいい男の子が好きだという自覚はありました。姉ふたりの三人姉弟の末っ子として生まれ、気づいたときから、『なかよし』や『りぼん』を読むのが当たり前。上の姉がKinKi Kids、2番目の姉がSMAPにハマったことから、自然と家には『Myojo』『ポポロ』『POTATO』があふれ返り、テレビの楽しみといえば『愛ラブSMAP!』に『キスした?SMAP』。お顔のいい男の子たちは、いちばん身近なエンターテインメントでした。

でも、それはあまり口にしてはいけないことだと気づいたのは、たぶん小学校高学年に入った頃から。香取慎吾のブロマイドをしのばせ、女の子たちと楽しくアイドル談義をしている僕を、同級生の男の子たちは「オカマ」「ホモ」とからかうようになり、少しずつ学校の教室は自分にとって呼吸のしにくい場所になっていきました。

まだ幼い僕にとって教室は世界のすべてであり、そこから逃げることなんて思いつきもしなかった。なんとかここで生き残る術を見つけなきゃ。そう何かにかじりつくように、あえてオカマキャラを演じて笑いをとってみたこともありました。

傷ついていなかった、といえば嘘になるかもしれません。でも、そんな些細な傷よりも、居場所がなくなる方が怖かった。だったら、道化に徹している方がよっぽど楽だったのです。

それに、自分が「キモい」と笑われることは、うまく感情の回路を切り替えればやり過ごせた。それよりも苦しかったのは、自分の好きな人のことをバカにされることです。

「香取慎吾の何がいいん」「うわ、あれよっちゃんの好きなやつやろ。キモ〜」

今ならば、香取慎吾の良さをPowerPointで10枚にまとめてとくとくと演説をしたいところ。けれど、あの頃の僕にはそれだけの語彙力がなかった。そして何より自分のことはどう言われても耐えられたけど、推しが自分のせいで踏みにじられることだけは嫌で嫌でたまらなかった。

そのうち僕は人前でお顔のいい男の子たちが好きだと言うのをやめにしました。代わりに、当たり障りのない女性タレントの名前をあげたりして、道化の役もやめにして。なるべく目立たないように、なるべく普通でいるように、息をひそめて生きてきました。


「好き」という気持ちでつながれることで、自分の「好き」を肯定できた


「この記事、めっちゃ面白い」

そんな感想のツイートがSNS上でちらほらと見えるようになったのは、確か今から3年前ぐらいのこと。当時、演劇を中心にライター業をしていた僕は、舞台業界で一大ブームを起こしている2.5次元舞台の取材をするようになりました。

正直、最初は抵抗があった。2.5次元舞台を彩るのは、いわゆるお顔のいい男の子たち。観客もほぼ女性です。取材を担当しているライターも、9割は女性。その中に男性の自分が飛び込んでいく。控えめに言って、珍獣です。最初はずっと、なるべく目立たないように、なるべく普通でいるように、いつもの念を自分にかけ、のっぺらぼうの記事を書き続けていました。

 
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