オタクの心の浄化槽。男子の“わちゃわちゃ”が今の時代に求められる理由_img0
 

いつからでしょうか。僕たちが、こんなに“わちゃわちゃ”を愛でるようになったのは。寝ても覚めてもわちゃわちゃ。箸が転んでもわちゃわちゃ。とにかく男の子たちがわちゃわちゃしているのを見ると癒されるこの不思議な心理。取材の現場でも、若い男の子たちの座談会のときは「ぜひわちゃわちゃトークを聞かせてください」と切り出すし、撮影のときも「じゃあわちゃわちゃした感じで」とオーダーが飛ぶ。

いつの間にかすっかり市民権を獲得したわちゃわちゃ。今回は、オタクにとっての自動ドーパミン製造機=わちゃわちゃについて考えてみます。
 

 

嵐の『Happiness』のMVが、僕をわちゃわちゃ大好き人間に変えた


わちゃわちゃとは、複数の人たちが仲良く喋ったり騒いだりしているさまのこと。恐らく文化としてはジャニーズアイドルの間で綿々と受け継がれてきたものだと思うのですが、僕が最初に認識したのは嵐でした。

今もよく覚えている20枚目のシングル『Happiness』のミュージック・ビデオを初めて観たときのあの高揚感。キャッチーで軽快なメロディに乗せて、体を揺らしたり、パターゴルフをしたり、ピンポンをしたり。とにかく画面からあふれる多幸感がすごすぎて、フリーザさまが世界征服をやめて赤い羽根に全額募金するレベル。

高速アルプス一万尺をしている大野くんに櫻井くん。ニノの頭皮に噛みつく相葉くん。モノポリーをひっくり返す松潤に、最後は机ごとひっくり返す大野くんと、みんな愛らしすぎて、走り出せって言われるより先にこっちの心臓が走り出してる。台詞なんて一切ないのに、ちゃんと5人の仲の良さが伝わってくるし、そのわちゃわちゃが等身大で、つくりものめいたところがまるでない。こんなに濁りがないのは、南アルプスの天然水か嵐くらいです。

しかもこのミュージック・ビデオの何がすごいって、一度もソロのアップを使わないのです。普通、ミュージック・ビデオでは画にアクセントをつけるためにも、グループであっても何かしらアップを入れるのが常套手段。しかし、この『Happiness』は4分29秒間、たまにフレームアウトしたりフレームインしたりしますが、基本的にはどのカットも5人全員がおさまる構図でつくられています。これが当時の僕にはめちゃくちゃ画期的で、「5人一緒で嵐」なのだと強く印象づけられたものでした。

正直、推しのラブシーンよりも、わちゃわちゃが見たい


以来、すっかり男の子たちがちょっかいを出し合ったり、いちゃついている光景を見るだけでドーパミンが大量分泌する体に。それが推しならなおのことです。一応、ここは線引きをしておきたいのですが、BLとはまた感覚が違って。そこに恋愛感情はなくていい。

ただ公園で砂遊びをしている子どもたちを眺めるように。あるいは、野に咲く花の匂いを嗅ぐように。推しが仲の良い人たちとはしゃいでいるのをひっそりと愉しみたい。そして、できればそのまま天に召されたい。今のところ考えうる最も幸福な最期は、推しのわちゃわちゃを見届けながら静かに息を引き取ることです。

正直、推しのラブシーンよりも、わちゃわちゃの方がよっぽど見たい。服を着たまま海辺にダイブして、推しがジャーマンスープレックスかけられているのとか。浴衣姿で車座になって延々UNOをやっているのとか。布団かぶってこそこそボーイズトークに盛り上がっているのとか。そういう姿をもっとくれ。つまり推したちには一生修学旅行をしててほしい。私、床の間にかけられている掛け軸の役やりますんで!

 
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