民主国家というのは、国民1人ひとりが基本的人権を持ち、お互いの人格を尊重することで初めて成立する制度といえます。この基礎がしっかりしていないと、資本主義のシステムもうまく機能しません。上司と部下は機能的に指示を出す、受けるという関係があるだけで、全人格的な上下関係はないという基礎が理解できないと、合理的な企業組織を構築することはできないからです。

また民主国家においては、根源的に正しいこととそうでないことの違いがはっきりしており、既存の法体系よりも上位に位置する自然法によって、その是非が定義されています。基本的人権は究極的な自然法であり、これを壊すような行為はもちろんこと、基本的人権をないがしろにする法律や憲法は、仮に議会が成立させたとしても無効となります(法の支配)。

匿名での一方的な誹謗中傷は完全な人権侵害であり、社会は被害者を守る必要がありますし、被害者は自身を守るため、相手に対して反撃する権利があります。

木村さんの死という、痛ましい出来事がなければ社会が動かなかったというのは大変残念ですが、今回の一件をきっかけに、法的措置の検討を開始した著名人が続々と出てきたことは、非常によい傾向だと思います。一部の人は「そこまでしなくても」と感じているかもしれませんが、その考え方は改めるべきでしょう。

日本で「被害者叩き」がやまない理由。もうスルースキルという言葉は死語にしよう_img0
ジャーナリストの伊藤詩織さんは6月8日、自身を誹謗中傷する投稿で精神的苦痛を受けたとして漫画家ら3人を提訴。会見では、木村花さんの事件にショックを受け訴訟を急いだとも語っている。 写真:つのだよしお/アフロ(写真は2019年12月当時のもの)

互いの人格を尊重する民主的な社会というのは、何もせずに与えられるわけではありません。私たち自身が努力を積み重ねて勝ち取っていくものです。残念なことに一部の人はこうした価値観を理解できず、誹謗中傷といった暴力的行為に及ぶわけですが、一連の行為を見過ごすことは、自身が直接加担していなくても、間接的にこうした人たちを支援していることと同じになってしまいます。

 

もし被害を受けたのであれば、毅然と対応することが、自分だけでなく、これから被害を受けるであろう他人の権利を守ることにつながりますし、こうした被害を目の当たりにした時には、見て見ぬフリをせず、声を上げることが重要です。

政府が介入しなくても問題を解決できるはずだという一部の指摘はその通りであり、本来であれば、政府の力ではなく、私たちの行動を通じて問題を解決する方がよいに決まっています。今回の一件をきっかけに「スルースキル」などという言葉は一掃すべきだと筆者は考えます。
 

前回記事「実は、コロナは世の中を何も変えていないという話」はこちら>>

 
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