永守氏は、自身が経営する大学について「ノーベル賞受賞者を出すことは想定していない」と説明していることからも分かるように、アカデミズムと実学の教育を分離すべきと考えているようです。諸外国の大学でも、学術研究ではなく、教育を主業務とする大学教授(いわゆるティーチング・プロフェッサー)が講義を担当するケースも増えていますから、こうした役割分担は今後、進んでいく可能性が高いでしょう。

 

一方で、実学ばかり重視すると、学問に対する基礎力がなくなり、最終的には産業界にとってもマイナスになるとの意見もあります。このあたりは完璧な解答が存在しているわけではありませんから、今後も試行錯誤が続いていくものと思われます。

 

もっとも、社会で「使える」人材を育成するためには、大学で教える科目だけでなく、講義の進め方など具体的な方法論についても議論が必要となるかもしれません。「名刺の出し方」が云々という話は、実は名刺の出し方というテクニカルな所作だけの問題ではない可能性があるからです。

仮に名刺の出し方が分からなくても、相手が気分を害していることを理解し、それに適切に対応できるスキルがあれば、それほど悪い印象にはならない可能性が高いからです。つまり名刺の出し方が分からずに相手を怒らせている人は、名刺の出し方以前に、コミュニケーションに問題を抱えている可能性が高いのです。

相手を理解し、適切に対処する能力は、ディスカッションを通じて向上させることが可能であり、これは義務教育課程や高校・大学のカリキュラムの中にも取り入れることができます。

これまでの日本は、新卒一括採用、終身雇用が前提でしたから、ビジネスパーソンの基礎教育はすべて会社が行っていました。しかし、こうした慣習は事実上、消滅しつつありますから、社会人になる前にこうした基礎力を身につけておかなければ、就職する段階から不利になってしまいます。

学校関係者からは「何もかも学校に押しつけないで欲しい」との声が聞かれますが、会社に入る前に教育を受ける場所は基本的に学校しかありませんから、高校や大学に対して求めるものが多くなってしまうのも、やむを得ないことかもしれません。

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