私が大学に入った年、祖母が吐き捨てるように言った。
「再婚したらしいわよ。ひとまわりも下の男と」
 なんて気持ちが悪いんだろう。私が思ったことはそれだった。私は十八で処女だった。恋人もいない子どもだった。それは生まれて初めて母という人間に抱いた強い感情なのかもしれなかった。私の価値観は祖母に染められていたし、色恋沙汰のことなど、何ひとつわかってはいなかった。
 私は自分の人生から母を切り捨てた。実際に捨てられたのは私だった、とは思いもしなかった。
 その後結婚をして、出産をして、なぜ、その母と再び会ってみようと思ったのか。今になってもよくわからない。魔が差した、としか言いようがない。玲を産んだ直後でホルモンバランスが狂っていたせいか。産後鬱になりかけていたからか。子どもの父親の両親は高齢で、すでに二人とも他界していた。私の祖母も父も他界していた。この子には祖母も祖父もいない。特に、子どもの父親が仕事でいなくなった昼間、玲と二人だけで過ごしていると、わけもわからず、不安が募った。この子には、普通の子どもより、もらえる愛情が少ない。そう思ったら、玲を抱きながら涙が出た。
 その頃、どこでどう調べたのか、叔母から私の家に手紙が来ていた。
「姉は今でもあなたのことを心配しています」
 そう書かれた手紙の最後には母の連絡先と電話番号が記されていた。私は泣き止まない息子を抱きながら、震える指で母に電話をかけたのだった。
 母はその頃、私たちが住んでいた杉並の古ぼけたコーポに、タッパーに入ったお総菜、子どものおもちゃをバッグいっぱいに詰めてやってきた。
「十何年ぶりかの再会だったのに、あっさりとしたものだったよ」
 そう子どもの父親に伝えたが、実際のところ、私は深く安堵していた。玲には祖母がいる。それだけで、万一、私に何かがあったときにも、母が助けてくれるだろう、とそう思えた。母のほうも私にただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。玲が保育園に入るまで、月に一度、まるで保健師さんのように家を訪ねてくれるようになった。心のなかでは、この人は母ではない。私を捨てた人だ。そう思っているのに、それでも母がやって来る日をまちわびるほど、その頃の私は孤独だった。仕事からも、世間からも取り残され、公園のママ友に混じる勇気もなかった。