母の家に招かれたこともある。母が再婚をしたその人は、どうしてこの人はこんなに年上の母を好きになったのだろう、と思えるほど、純粋で人間的な汚れのない人だった。彼が母を心底愛している、ということは、二人のそばにいればわかった。私の父とは築けなかった関係を母はこの人と築いている。母は年齢相応に老けていた。その頃、多分六十を過ぎたくらいだったと思う。それでも、その人との年齢差を感じなかった。恋というものが、愛しあうということが、二人の人間をこんなにも輝かせるということを、私は二人から知った。けれど、母への思いはまだ、ねじれて、私のなかで燻っていた。その頃から、私と子どもの父親との関係には、かすかな亀裂が入り始めてもいた。私を捨ててこんな幸せな暮らしをしている母を、私自身、母になっても、女として妬んでいたのだ。
母と母の夫に愛されて育った玲は、彼らにとって健やかな孫であった。私の祖母の感情を、私がそのまま享受したように、私の母への思いも息子に伝わってしまうのか、玲はどこか母には一線を引いているようなところがあった。けれど、母の夫をおじちゃんと呼び玲は慕った。母の夫も玲を溺愛した。何も言わなければ、彼らの間に血縁関係がない、ということを信じてもらえなかっただろう。玲が中学二年の年、交通事故で彼が亡くなり、いちばんに声をあげて泣いたのも息子だった。
「おじちゃんは自分の父親よりもお父さんという感じがする」
と、一周忌のときに彼は誰に向かって言うでもなく呟いた。
連れ合いを亡くしたあと、母は生まれて初めての一人暮らしを始めた。異変があらわれ始めたのは四年ほど前のことだ。私や息子の名前が出てこない。顔を忘れる。病院嫌いの母を無理矢理に連れて行った病院で認知症と診断された。仕事をしながら介護をする、という選択はなかった。大学時代の後輩のつてを頼って、なんとか老人介護施設に入れた。どこかでほっとしてもいた。母は最愛の夫に看取られることはなくなった。もし、それを目の前で見せられていたら、私はまた、娘ではなく、女として、母を妬むだろうと思った。
母を老人介護施設に連れて行った日、あなたの最期にふさわしい場所だ、という残酷な思いがわき上がってきた。
目の前の母は毛糸をひとさし指にくるりと巻き付けたまま、口をもごもごと動かしている。私は母の顔に耳を近づける。意味をなさない言葉の羅列が私の鼓膜を震わせる。母に聞きたいことは、確かめたいことは山ほどあったはずなのに、母はもうはっきりとした意識のある人間ですらない。
ねえ、お母さん、私を置いて出ていったとき、どんな気持ちだった?
ねえ、お母さん、若い男と再婚したとき、お父さんに復讐した気持ちになった?
「そろそろ休憩しましょうか? 娘さんに会えて良かったですね」
若い介護士さんが母の車椅子を押してラウンジから廊下へと向かう。見るたびに小さくなっていく母の体を見ながら思う。あれは自分の未来だ、と。憂鬱な気持ちになりながら、強く自分のなかで浮かびあがってくる言葉があった。
私は女としてもう一度生きてみたい、と。このまま年齢を重ねて自分のことすらわからなくなってしまうのは絶対に嫌だった。母はもうすべての記憶を忘れ去っているかもしれないが、最後に愛した男との日々は彼女のどこかに堆積されているはずだ。私が今のままであるのなら、元の夫とのガラクタのような記憶を抱えて死んでいくだけだ。それだけは絶対に嫌だった。母にすら負けている。そう思う自分を滑稽に思いながらも、それでも私は思った。もう一度、女になりたい、と。
次回更新は、8月19日(水)予定です。
ミモレインタビュー
「【小説家・窪美澄さん】40代の先に、ご褒美のような50代が待っている」>>
『私は女になりたい』
窪美澄 予価 本体1600円(税別)(2020年9月14日刊行予定)
主人公の赤澤奈美は、アラフィフの美容整形外科医。カメラマンの元夫とは離婚し、シングルマザーとして息子を育てながら仕事一筋で生きてきた奈美だが、14歳年下の男性患者・公平と恋に落ちて……。
カバー画像/
O'Keeffe, Georgia (1887-1986): Abstraction Blue, 1927. New York, Museum of Modern Art (MoMA). Oil on canvas, 40 Œ x 30' (102,1 x 76 cm). Acquired through the Helen Acheson Bequest. Acc. n.: 71.1979.© 2020. Digital image, The Museum of Modern Art, New York/Scala, Florence
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