鴻上 コロナに感染しただけで何か凶悪事件でも起こしたかのように責められますからね。社会の中に感染者を差別、排除しようとする強い空気を感じます。そこには病者への気遣いも同情も見えない。ウイルスは人を選ばないのだから、誰であっても感染する恐れはありますよね。本来、頭を下げて謝るようなことではないと思います。

佐藤 僕は最近ずっと、加害者家族に対する「バッシング問題」を考えています。日本では、殺人などの重大犯罪が犯された場合、加害者の家族がひどい差別やバッシングを受けます。これは、コロナ感染者に対する差別やバッシングと非常によく似ていると思いました。日本人の間に「犯罪加害者とその家族は同罪」といった意識が浸透しているからです。加害者家族に対するバッシングとまったく同質の問題が、いま、コロナ禍をきっかけに大挙して噴き出てきたわけです。感染者やその家族に向けられた差別やバッシングというかたちで。感染者が悪くもないのに謝罪するのも、そうした圧力があるからですね。

 

鴻上 感染者の女性がカラオケに行っただの、バーベキューに参加しただの、真偽不明の情報が出回って、バッシングされました。これまた「親の顔が見てみたい」とまで口にする人がいました。もう、謝罪するまで許さないという状況が生まれたわけです。実際、感染してしまった著名人、たとえばニュースキャスターも芸能人も野球選手も、みんな頭を下げました。「申し訳ない」と。

 

佐藤 「世間」の感情が許しませんからね。迷惑をかけられたと思っているんですよ。みんな家庭で「他人に迷惑をかけない人間になれ」と言われて育っているんです。だから他人から迷惑を受けるということについてものすごく過敏なところがある。それが「世間」のあり方ですから。日本では、あたかも病気=悪であるかのように、感染者が犯罪者のようにみなされてしまう。責任があるとは到底思えないのに、感染者やその家族は「世間」への謝罪を強いられるんですね。

鴻上 自分が迷惑をかけちゃいけないと教えられてきたから、同時に他人の迷惑に対してすごく敏感になる。

佐藤 たとえば芸能人が感染したとしても、テレビで見ているだけの人にとっては何も関係がない。なのに謝罪を求めますよね。それはね、やはり、自分が迷惑をかけられたと思っているからですよ。何というか、それまで信じていた芸能人のイメージみたいなものが崩れて、その感情が反転し裏切られたと思って、それがバッシングにつながっていく。

鴻上 何でこんなに「他人に迷惑をかけるな」という言葉が呪文になったんでしょうね。だいたい、日本ってコロナどころか普通に風邪ひいて会社を休んだだけでも謝るじゃないですか。それどころか、バカンスをとっても謝る。なんて息苦しい社会なんだと思いますね。