「お盆」と太平洋戦争の終戦記念日が同じ時期なのは、これ何か理由があるのかどうか、そのあたりに詳しくはないのですが、なんとなく「いいな」と私は思います。「いいな」っていうのも変ですが、「お盆」には身近で亡くなった人たちに思うわけですが、同時に直接は知らない「戦争で命を落とした人たち」にも、漠然とながら思いをはせるわけで。
遅い対策決定と、なぜか決行される無駄な施策
私は毎年この時期には必ず、塚本晋也監督の『野火』のインタビュー(「戦争に美学を求め、『自分の命を懸けてもかまわない』という作品に熱狂する観客は、確実に増えている。」)をシェアするのですが、今年の終戦記念日はコロナ禍でしっちゃかめっちゃか。国会も開かず「感染拡大なすがまま」みたいになっちゃっているのに、その裏では「敵基地攻撃能力」の話し合いはしてるらしく、ほんとにどうなってんのこの国。てか「ミサイル飛んでくるかもしれんのに、座して死を待つのか!」ってイキってる議員さんにお聞きしますが、「PCRが増えない」「保健所業務パンク寸前」「ベッド足りない」とか4月の緊急事態宣言の時と全く同じこと言ってる今こそ「座して死を待つ」って感じがするんですけども。
と、あまりの暑さに軽く毒はいてみたところで。春の緊急事態宣言の頃に取材した『コロナの時代のぼくら』のパオロ・ジョルダーノさんに「コロナ禍を戦争に例えてはいけない」と言われたものの、コロナに対する政府の行動パターンは、なんというか「こういう上層部のせいでどんだけ下の人間が死んだんだろう」っていう偉い軍人さんたちそっくり。
ある報道番組に出てきた自民党の某議員が「大きい船と同じで、一度行くと決めたら簡単には方向転換できない」とおっしゃっていたのが衝撃だったのですが、誰かの顔を潰さないようにしてるのか決定は絶望的に遅く、でも「状況の変化に追っついてないと認めたら面目丸つぶれだから、認めるわけにはいかん!」ってことなのか、なぜか決行される無駄な方策……ああ、気づくと毒を。違う違う、今日書きたかったのは終戦記念日と、沖縄のこと。
軍命による強制移住が起こした沖縄の「戦争マラリア」
昨年取材した映画監督・三上智恵さんは、子供の頃からの太平洋戦争の沖縄戦ヲタクが高じて沖縄のテレビ局のキャスターにまでなった方なのですが、その方が共同監督で撮った『沖縄スパイ戦史』という映画を見て、私は度肝を抜かれました。自分が沖縄における戦争の何たるかを、全く、これっぽっちも、1ミリも知らないことを、思い知ったからです。その「知らなかった」のひとつが「戦争マラリア」でした。
「戦争マラリア」とは、戦争中に沖縄の島々で蔓延したマラリアのこと。第二次大戦当時の沖縄には、昔から知られる、人の住めないマラリアの発生地域がありました。ところが駐留した日本軍は、住民たちが軍の情報を漏らさぬよう(もしくは財産収奪の目的で)、そのマラリアの発生地に強制的に集団移住させたんですね。住民たちがなぜ軍の情報を知ってるのかといえば、軍を維持するための労働や食料供給において、住民に協力させていたからです。つまり協力させといて、「お前は知りすぎた」的に切り捨てたってこと。
マラリアの発生地はただのジャングル、まともな家もない、衛生管理なってまったくできない場所ですから、住民たちの間に病は蔓延。八重山では空襲で死んだ人は174人、マラリアで死んだ人は3600人以上、波照間では人口の三分の一が、マラリアで死亡。日本軍は自分たちの分だけの特効薬は確保していたといいます。
さて現在、コロナ禍で大変なことになっている沖縄。人口は東京の約10分の1ですから、つまり沖縄で65人(8月11日)の新規感染者が出たということは、東京に換算すれば650人です。もちろん「コロナ禍は戦争マラリアと同じ!」なんて言いたいわけではありません。でも沖縄の感染拡大の一因が「米軍」ーーつまり国が背負わせているものーーであるならば、ひっぱくする沖縄の医療に国が手を差し伸べないのは、構造としては「戦争マラリア」と同じように思えます。
「圧倒的に東京問題」という言葉の裏にある「圧倒的に他人事」な態度にもびっくりしましたが、それでも東京は他県と地続きだから「ひとりぼっち」にはならない。神奈川だって埼玉だって千葉だって、協力・協働してくれるし、せざるを得ません。でも沖縄に対してもそういう態度をとる政府は……なんていうか、単純に、イヤな感じ。意地悪してるみたい。いや、たとえどの県で同じことが起こっても、国の態度は同じなのかもしれません。
そう思うと戦争とコロナ禍はやっぱりどこかで似ています。うちの国の偉い人たちは、手前勝手で自分のメンツばっかりで、国民の総体とは違う、何を指しているのかわからない「国」を守るために、時には一部の国民を見捨ててもーーみたいところは、戦争が終わって75年も過ぎているのに全然変わっていないのかもしれません。広島・長崎の原爆の記念式典でのスピーチが、まるっきり同じコピペ文面だったのも然り。コロナ禍の夏だからこそ、先の戦争のこともどうか忘れずに。
Comment