息子の切迫した声で電話がかかってきたのは、玲が中学二年のときだった。
「お父さんが起きない。いくら揺すっても起きない」
「すぐに救急車を呼びなさい」と叫び返すことしかできなかった。そのときまで彼が心療内科にかかっていることを知らなかった。処方されていた一ヵ月分の薬をまとめて飲んだのだった。玲が来るとわかっている日に、あえて、そんなことをしようとした彼にただ腹が立った。玲には家に帰るように言い、私一人、彼が運ばれた救急病院に向かった。
「こんなことをしても死ねないから」
そう言った私の顔を見もせずに、彼は病室の天井だけを見つめていた。死ぬのなら、一人でひっそり逝けばいい。そう、はっきりと思う自分に罪悪感が生まれた。彼をここまで追い詰めたのは自分だ、と。それでも言った。
「玲の前でそういうことをするのだけは絶対にやめて」
「家族三人で暮らしていたとき、俺はいちばんしあわせだったな……」
そう言われれば返す言葉もなかった。私のなかではもう終わった家族だ。壊れたものを元に戻すことはもうできない。
「おまえは誰よりも強くて……」
彼が無精ひげの生えた顎のあたりをさすりながら言った。
「誰よりも冷たい人間だ」
そうかもしれない。いや、実際のところ、そうなのだろう。私は彼の言葉を無視して告げた。私は冷たい人間なのだから。
「こんなことをするのなら、もう二度と玲には会わせない」
彼はかすかに頷き、自らの経済的窮乏を私に告げた。お金を貸してほしい、と。貸してほしい、という言葉は正しくはないだろう、と思いながらも、私は彼を助ける約束をした。
「お父さんは少し体調が悪かったの。すぐに退院できるから」
帰宅して玲にはそう告げた。納得している顔ではなかったが、それでも頷いた。それから、年に、三、四度、経済的な危機がくると、私に連絡がやってくる。彼が求める金額を私はただ、黙って渡し続けてきた。彼が言う、いちばん幸せだったときを、彼から奪ったという罪悪感からだ。冷たい人間だ、という彼の言葉など無視して生きていこうと、心に決めたはずなのに、私の心のなかではその言葉が残響のように今も残っている。図星だったからだろう。
彼と玲との邂逅はひと月かふた月に一度は、私を介することなく、続けられているようだった。けれど、玲が自分の父親について、何かを話すことはなかった。
「お父さんは元気だった?」
「ああ……うん」玲はいつも決まった返事しかしない。
それ以上のことは聞きたくもなかったし、耳を貸すつもりもなかった。自分とはもう縁のない人間だが、玲にとっては父親なのだ。
隣の若いサラリーマンが盛大に煙草をふかしている。目の前の彼もそうだ。経済的窮乏にあるのなら、一番に喫煙をやめるべきではないか、と思うが、私はその言葉をのみこんで言う。
「玲にお金の無心だけは絶対にしないでよ」
「わかってる」
「じゃあ」
そう言って私は席を立った。金を渡したのだ。二人分のコーヒー代くらい払えるだろう。ドアを開けて階段を登る。地上に出ると、西日が私の目を射た。ひどく疲れていた。元夫と顔を合わせるときはいつもそうだ。電車に乗れば帰宅ラッシュに巻き込まれる時間だ。たくさんの人のなかをすり抜けるように歩く気力もなかった。私は手をあげてタクシーを止める。自宅の住所を告げる。いったい、いつまで、私はこんなことを続けるつもりなのだろう、と思いながら、元夫が再び、自死を試みることが私には恐怖なのだ。玲への心理的負荷を考えていた。父親が自死をした子どもにしたくはない。そして、自分がその事態を導いたのだという体験をしたくはない。そのとき、バッグの中のスマホが震えた。また、元夫からのメッセージか、と思いながら、その震えを無視した。幾度か、また震える。クリニックのスタッフからだろうか、と仕方なく私はスマホを手にとる。
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