コロナ禍で一変した、専業主婦の日常
朝食の後片付けをしながら、美穂はすでに昼食の準備に取り掛かっていた。
つい先ほど掃除洗濯などの家事を終え、冷えたトーストとコーヒーで胃袋を満たしたばかりだが、時刻はもう11時になる。そろそろ夫の貴之がお腹を空かせる頃だ。
新型コロナウィルスの影響で世界中でステイホームが推奨されるようになってから、もともと1日の大半を家で過ごしていた美穂の生活は一変した。
6時少し前に起床して朝食を用意し、バタバタと小学二年生の息子の湊人を送り出すまでは以前と変わらないが、その後、リモートワークとなった貴之がずっと家にいるのだ。
「......だから、その件は昨日説明しただろ?はぁ?まだ終わってない!?」
夫は隣の寝室でWEB会議をしているが、苛立った声が1日に何度もリビングに響く。
「貴之は仕事中」と頭では分かっていても、眉間にシワを寄せて溜息を吐かれたり、部屋のドアが大きく音を立てて乱暴に閉まるたび、美穂はまるで自分が責められている気分がしてならない。
自宅が夫の職場と化してから、常に殺伐とした緊張感が走っているのだ。
おかしな考えを持ってはいけない、と、美穂は皿を洗う手に力を込める。
コンサルティング会社に務める夫は以前から多忙を極めていて、早朝から丸の内のオフィスに出勤し、深夜や朝方に帰宅する日も珍しくなかった。
そんな夫の職場が移動したのだから、ある程度環境が変わるのは仕方がない。
ワイドショーを観るのを遠慮し、昼下がりにソファで少しウトウトするなんてことも絶対にできず、美穂の心休まる時間がぐんと減ってしまったとしても。
表参道駅から徒歩10分弱の日当たりの良いマンションの一室は、近所に住む貴之の両親が頭金を援助してくれることで購入に至った。専業主婦の自分が不平を抱く権利はない。
「......パパ、お疲れさま。お昼用意したから適当に食べてね。私これからスーパーに行って、少しお買い物してくる。湊人が帰る前には戻るから」
寝室の隅でパソコンに向かう貴之の背中にそう告げると、彼は不機嫌そうに振り向いた。毎日の光景なのに、この瞬間は毎度ヒヤヒヤする。
「買い物?」
「うん、湊人のお洋服と参考書を見たくて......」
「そんなのネットで買えないの?」
一瞬、唾を飲み込む。貴之を刺激したくない。言葉は選ばなければならない。
「ネットだと、どうしてもサイズが思うように合わなかったりするから。本も中身まで分からないし......」
「ふぅん、わかった」
けれど貴之はパソコンに向き直ったので、美穂はホッと息を吐いた。
「あとごめん。明日の夜は早希たちに会いに行くから、申し訳ないけど少しだけ湊人の面倒、お願いします」
そうして美穂は逃げるように部屋を出たが、「ああ」と答えた夫の声がいつもより低かったことに、きちんと気づくべきだった。
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