学術会議問題に思う、日本人に必要な「論点の切り分けスキル」_img0
10月23日、菅首相が任命を拒否された6人のうち4人が撤回要求、日本外国特派員協会で会見を開いた。左から、松宮孝明立命館大教授、岡田正則早稲田大教授。 写真:つのだよしお/アフロ

仮に学術会議の運営に問題があったとしても、その話と任命拒否の問題はまったく別テーマです。もし運営に問題があるのなら、それは徹底的に議論すべきであり、任命拒否の問題の中でゴチャゴチャに取り扱うものではないでしょう。一方、任命拒否については、そもそも首相が推薦を拒否できるのか、また、その場合には理由を説明する必要があるのか、あるいは、どういう理由なら任命を拒否できるのかなど、項目を分けて考えることが重要です。

菅氏はおそらく意図的に論理のすり替えを行っていると思われますが、世の中の議論を見ていると、無意識的に2つのテーマを混同している人が多いように見受けられます。

ある人が「任命拒否は良くない」と指摘すると、ある人は「でも学術会議には問題がある」と反論するといった具合です。この議論には2つのテーマが存在していますから、任命拒否は良くないという意見を聞いた人は、まずは、そう思うのか、思わないのかをはっきりさせ、任命拒否が妥当だという意見であれば、その理由を説明しなければなりません。その上で「学術会議には○×という問題があるので、改革が必要だ」と続けなければ、議論はいつまで経っても平行線です。

こうした現象は政治の世界だけでなく、身の回りでも日常的に観察されます。

ある企業で、ITシステム導入の是非について議論している時に、「IT化を進めるとセキュリティ面で不安がある」といった意見が出てきます。ITシステムの導入にはセキュリティのリスクは付きものですから、それを踏まえた上で、導入すべきかを議論しているわけです。

不安があると意見した人に「では導入に反対なのですか?」と聞くと、たいていの場合、「反対というわけではありません」と答えますが、納得していない様子を見せます。

このようなタイプの人は、複数の問題点が頭の中で渾然一体となっており、無意識的に問題のすり替えを行っています。何と何を比較しているのかが不明瞭ですから、いつまで経っても結論を導き出すことができません。

このようなスタンスは、何か物事を進めていく時にマイナスにこそなれ、プラスにならないことは明らかです。日本の生産性が諸外国と比べて低いことの背景には、こうした意思決定における曖昧さがあると考えられます。

前回記事「菅政権「構造改革」路線の勝算は?初動2カ月から考察」はこちら>>

 
  • 1
  • 2