「いわゆる暴言、暴力のせいで生活が破綻してしまう家族。糞尿まみれになって生活をしていた裕福な家族。自殺してしまった方、殺された方もおられました」。そう語るのは、のぞみメモリークリニック院長・木之下徹先生。これは犯罪現場のルポでもなんでもなく、私たちに起こりうる身近な病気“認知症”がもたらしたものです。1990年代はじめから認知症の人たちと向き合ってきた木之下先生が大切にしているのは、認知症とともに、人として暮らすこと、生きること。
『認知症の人が「さっきも言ったでしょ」と言われて怒る理由 5000人を診てわかったほんとうの話』は、著者の木之下先生がこれまでに関わった、数千人の人たちとのやりとり、そして日々の診察で考えたことを“いまの認知症の本当の話”としてまとめた一冊です。今回は特別に本書から、認知症の人の「もの忘れ」の真実について、一部抜粋してご紹介します。
康子さん(80歳)が同居している娘の洋子さん(54歳)とともに初めての検査の結果を聞きに診察室に入ってきました。診察室ではMRI画像がモニターに映し出されています。
私「この部分に少し隙間があります。そして、この部分が少しやせてきています」
私は康子さんご本人に向かってご自身の脳の状態を説明します。当たり前のことです。ところで私が「この部分」といった場所は海馬と言われている部分とその周辺です。
康子さん「へー、そうなんだあ」
私「ほかの検査の結果も見てですね、記憶のしづらさが以前よりもあると思うんです」
娘の洋子さんは母親の康子さんを諭すような口調で、
洋子さん「そうよ。おかあさん、最近忘れっぽいもんね」と言いました。
私「いやあ、忘れてはいないんですよ」
洋子さん「えっ?」
私「最初は屁理屈に聞こえるかもしれません。でももの忘れではありません。記憶のしづらさです。かなり重大な違いがあるんです」
私は認知症を説明するときに、「もの忘れ」ではなく「記憶のしづらさ」という言葉をよく使っています。どういうことでしょうか。
「記憶しづらい」ことと「忘れる」ことの違い
家の食卓でよくある会話です。
娘「食べたらお醤油、棚に戻しておいてね」
母「あっ、醤油ね、わかった」
ご飯を食べて後片付けを母親がしています。醤油はテーブルの上のまま。
娘「えっ、お母さん、さっき言ったじゃん、片付けてね、って。もー」
次に来る母親のセリフを考えます。さて、ここから二つの思考実験をします。
まず、「醤油を戻しておいてね」と娘から言われたことをおぼえている場合。母親の返事はおそらくこんな感じです。
「あっ、そうだった。ごめん、ごめん」。あるいは親子の関係によっては、「まったく、あんたは。そうやってすぐ人のことを責めるんだから」かもしれません。母親には忘れた自覚がある。だから即座に悪いと思って謝罪したり、あるいは忘れたことに対して自らを正当化したいがための逆ギレをするかもしれません。
それでは、「醤油を戻しておいてね」と言われたことを覚えていない場合はどうでしょうか。おそらく「えっ、そうだっけ?」のような返答を母親はするでしょう。心もとない感じの、不安まじりの返答でしょう。しかしこのやりとりが毎日のように続けば、もう「えっ、そうだっけ?」とはならないはずです。母親は「なぜ、娘は怒っているの?」「何か、私悪いことした?」と心の中で思い始めるでしょう。それはごく普通の心の働きです。さら続けばこの気持ちを娘にぶつけるようになるでしょう。関係性に深刻なヒビが入り始めます。
この場合、前者の心の過程は忘れる体験です。おぼえていたのにその時、すっかり忘れていた。一方後者は心の中で忘れた体験がありません。確かに忘れてはいない。おぼえていないのですから。そもそも、おぼえていないものを忘れることはできない。屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、この違いは重大です。
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