結婚生活と仕事、2つのことはできないと思った


美緒さんはもともと、高校卒業後に地元の新潟で事務員をしていました。
しかし、なにかがしっくりこない。「自分ってなんだろう?」という思いを抱えて上京し、タレントになるための努力の日々がはじまります。

「事務所にもなかなか所属できなくて苦労したんですが、やっと入れたと思ったら、タレントさんが何百人もいて。これはちょっと大変なことになったぞ、と(笑)。
それでもなんとかして自分を売り込もうと、事務所の社長のいきつけと聞いた赤坂の高級クラブに掛け合って電話番のバイトをゲットして、顔を知ってもらえるようになりました。
当時はお金もなかったし、太らないようにということで、冷蔵庫にいつもあったのは、『もやし・ところてん・しらたき』。料理もまったくできず、市販のパスタソースを使って味をつけていました。若かったので、お腹が満たされればいい、という食生活でしたね(笑)」

松井美緒さん「野球選手の妻」「子どものママ」のあとの人生。15年ぶりに仕事復帰したワケ。_img0
 

そんな努力が実を結び、CMやテレビの仕事が増えつつあったとき、松井稼頭央さんと出会い、結婚。同時に美緒さんは事務所を辞めて芸能界を引退し、《野球選手の妻》となった。
仕事を続けるか悩んだが、「2つのことはできないと思った」と振り返ります。

「事務所の社長の『中途半端な仕事はするな』という言葉に納得したところもあり、芸能界を辞めました。結婚後はすぐに出産、その約3年後にはメジャーリーグに挑戦するために家族でニューヨークへ渡って。
正直、毎日が必死すぎて、自分がこの先どうなりたいのか、何がしたいのかなんてことはまったく考えることはありませんでした」

2004年の渡米以降、夫の稼頭央さんとは一度も喧嘩はないと言います。それほど、ふたりは一緒になって戦ってきたのでしょう。
とはいえ異国の地・アメリカでの子育ては苦労の連続。英語ができず、「トイレに行きたい」と言えなかった娘がお漏らしをしてしまい、周りにからかわれることもあったと言います。

「娘も必死だったと思います。だったらせめて自分にできることは、と思って、娘にお友だちができやすいよう、遊びに来てもらえるような楽しいお家にしようと思ったんです。
それからはキャンドル作りなど、毎日のようにちょっとした企画を考えては、お友だちに『来てよかった』と思ってもらえるようなお家づくりに精を出しました」

松井美緒さん「野球選手の妻」「子どものママ」のあとの人生。15年ぶりに仕事復帰したワケ。_img1
美緒さんの「相手を喜ばせたい」気持ちが溢れる、驚きのホムパテクニック!(『松井家のおもてなしごはん』より)

娘さんと小さなお友だちのためにはじまった美緒さんの「おもてなし」は、やがて大人向けのホームパーティでも遺憾なく発揮されることとなり、『松井家のおもてなしごはん』(世界文化社)として一冊の本になるほどにまで磨き上げられました。