女を卑屈にさせる「社会の呪い」
「良かった。先に絵梨香と会えて……」
六本木ミッドタウンのカフェに現れた学生時代からの友人・田口絵梨香に、早希は大げさに手を合わせて感謝した。
今夜は19時から、早希や絵梨香も含めた女友達4人で集まる。上海駐在から戻ったばかりの森本朋子と、おそらく家庭のストレスから脱毛症になってしまった清水美穂を励ますために企画した会だ。
早希も原稿チェックや展示会巡りで多忙だったが、どうしても隼人の話を吐き出しておきたくて、フリーランスPRで融通のきく絵梨香と先に合流したのだった。
あの日……明け方に起きた隼人を見送ってから1週間が経った。その後、彼から特に音沙汰はなく、幸か不幸か仕事でも顔を合わせていない。
「実はね、ちょっとした事件が起きて……」
絵梨香とまた男の話をする日がやってくるとは。いったい何年ぶりだろう。
彼女はコーヒーを飲みながら、いつも通りのポーカーフェイスで早希の話を聞いていた。しかし「何もなかった」と告げたところで赤い唇を尖らせた。
「え、勿体ない」
「へ……?」
「盛り上がったんでしょ?酔った勢いでキスでもしとけば良かったのに」
予想外に過激なアドバイスをされ、思わず赤面してしまう。
「で……できるワケないでしょ!若い子を相手に、そんな……」
「なんでよ?」と怪訝な顔を向ける絵梨香に、早希はただ黙って首を振る。けれど彼女が続けたこのセリフには深く頷いてしまった。
「若いって言ったって30歳でしょ?周りを見てよ、オジサンたちは平気で10も20も年下の女に手を出してるじゃない」
……確かにそうだ。自分が同じ立場になって思うが、よくもまあそんな厚かましいことができる。歳をとっても「イケオジ」なんて持て囃される風潮が、オジサンを実際よりイケてると勘違いさせているのではないだろうか。
そして多分、女は逆だ。若さ至上主義の日本社会で、オバサンの立場はことごとく弱い。当たり前に蔑まれるうち、必要以上に卑屈になってしまっているのかもしれない。
「大変!もう約束の時間じゃない!」
ふと左腕のカルティエに目をやると、時刻はすでに19時ジャストだった。
「朋子が時間通り来ると思えないし、私たちが行かないと美穂が一人になっちゃう」
約束の店も六本木だから、急げば10分以内には着く。早希は大急ぎで立ち上がった。それでなくても気弱になっている美穂を、短い間でも孤独にしたくなかった。
ところが……結果的に、早希の心配は取り越し苦労だった。絵梨香とともに慌てて駆けつけると、そこには思いがけず美穂のほかに見覚えある男の姿があったのだ。
「あれ。なんで透さんがここに……?」
長谷川透。同じ大学の2つ年上の先輩だ。「私が呼んだの」と囁く絵梨香に早希は目を丸くしたが、彼女は気にもせずさっさと着席している。
「おー、早希ちゃん久しぶり!」
透は若かりし頃「コミュ力おばけ」などと呼ばれ、数々の武勇伝を残した男だ。その社交性は相変わらずのようで、長らく会っていない女ばかりの場でもまるで動じず、懐っこい笑顔を向けてくる。
そしてその隣では、普段より着飾った美穂が控えめに笑っていた。
「ごめんね美穂。待たせちゃって」
「ううん、全然。透さんと話してたから……」
そう言うと美穂は、ほんのり頬を染め照れたように俯いた。
その、まるで少女のようなしぐさを見た瞬間。早希は胸騒ぎとともに、はっきりとしたデジャブを覚えた。
早希の感じた「デジャブ」とは。そして美穂の家庭環境はいよいよ過酷を極めていく……
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