物語の中の言葉は「おべんちゃら」。でも、本気でいい言葉やと思うてる


“天才コント師・ジャルジャルの福徳秀介の小説”なので、「さぞトリッキーなものに違いない」と読み始めると肩透かしを食らう、爽やかな青春ラブストーリー。大学2年生の“僕(小西徹)”の視点で紡がれるボーイ・ミーツ・ガールには、ジャルジャルのコントに通じる独特なワードがあちこちに散りばめられています。たとえば、あるキャラクターが敢えて「幸せ」を「さちせ」、「好き」を「このき」と読む工夫は、小説を装飾するための奇をてらったアクセサリーではなく、物語においてきちんと意味をもち、美しく回収されていくのです。また、作品の中で放たれるユニークな名言や格言が、すべて福徳さんのオリジナルだということにも驚かされます。

 

福徳:(主人公の)おばあちゃんの言葉とかがいっぱい出てきますけど、全部僕がゼロから作った言葉です。言い方は悪いですけど、どれもおべんちゃらなんですよね。(主人公たちにとって)都合のいい言葉。だけど、本気でいい言葉やと思ってます。キャラクターに言わせてはいますけど、「自分の中にない言葉は出てこないから」と言われたときに、「俺ってそんなこと思ってたんや」って。この小説を書いたことで、自分で思ってもいなかった自分の一面に気づきました。

筆者が心に刻みたい箴言は、徹が恋をする女子大生の桜木花が、亡き父親から言われた「嫌いな人が困っていたら、『ざまあみろ』と思うな。嫌いな人が困っていたら助けてあげなさい。そして、『私に助けられて、ざまあみろ』と思いなさい」。名言や格言は「正しさ」や「善」を押し付けることが多いですが、この言葉は人の負の感情に蓋をすることなく、前へ進む術を教えてくれます。

福徳:「私に助けられて、ざまあみろ」は、僕も好きです。自分で考えたその言葉に、僕自身が助けられることもあります(笑)。おばあちゃんの言葉やったら「明日もたぶん生きてる」が好きです。「明日死ぬかもしれないから、今日を全力で生きろ」が定番のフレーズですけど、「明日もたぶん生きてるから、今日、休んでもいいですよ」っていうニュアンスです。

借り物の言葉が溢れているこの世界で、福徳さんはオリジナルの言葉を尊重し、その発明に努力を惜しみません。ブルース・リーの発言だと明示した上で「ドント、シンク、フィール」を使ったのは、「それ以外の名言がオリジナルだとわかってほしいから」。彼の小説に対するこのスタンスに、既存のフォーマットから逸脱したオリジナリティで、作品ごとに見る者を困惑させるジャルジャルのコントや漫才に通じるものを感じます。

 

僕の経験やその時見た景色を、登場人物たちに投影した


徹とは「関西大学生」「実家でラブラドールレトリバーを飼っていた」などの共通点がありますが、福徳さんは「徹は僕ではないです」ときっぱり断言。

福徳:僕がこれまでに感じたことや、ある感情になったときに見えた景色を、それぞれの登場人物が、なんらかの経験をしたときに、投影していった感じです。

自己表現のためにキャラクターを使うのではなく、キャラクターを肉付けするために、自分の知識や経験を引っ張り出す。徹のバイト仲間のさっちゃんは、スピッツのファン。大のスピッツファンの福徳さんは、彼女が好意を寄せる徹にお勧めする「世界一好きな曲」に、なぜ「初恋クレイジー」を選んだのでしょうか。

福徳:キャラクターを肉付けする要素の一つですね。登場人物の役柄を決めていくときに、この年齢でバンドをやっているさっちゃんが好きなのはこの曲なんちゃうかなと思ったんです。「チェリー」とか「空も飛べるはず」とかを推薦したほうが、スピッツを知らん人には絶対にとっかかりとしてはわかりやすいのに、平気でそんな曲を推薦しちゃう性格の人、という意味での曲チョイスです。もちろん僕も好きな曲ではあるんですけど、特別な思い入れなんかはないです。