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【三谷幸喜×青木さやか】「生き様」が問われる舞台の世界はやっぱり面白い

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テレビに育てられた、救われてきた。
だから最後まで付き合う覚悟でいる


青木:舞台『23階の笑い』もテレビを作る裏方の人たちのお話ですが、三谷さんや私が子どもの頃とは、テレビを取り巻く環境もだいぶ変わりましたよね。今はテレビを見ない若い方が多いですし、一部のヒット作品を除けばテレビが話題に上る機会すら失われている気がして。私はバラエティ番組に育ててもらったので、やっぱり寂しさを感じます。

三谷:僕はテレビっ子だったし、もともと放送作家としてデビューしたので、青木さんと同じで今の状況はすごく寂しいですよ。日曜夜8時に家族が集まって大河ドラマに釘付けになるとか、週に1回しか見られないからこそ待っている時間もワクワクできるとか、テレビドラマの良さは絶対にあるはずなので、出来るものなら、もっと盛り上げたい。今はYouTubeで動画を自分で作って配信している方も、子どもの頃はきっとテレビを見て育っているわけですよね。僕は、テレビの力を舐めちゃいけないと思っています。

青木:はい。私もテレビに救われてきました。若い頃、つらいことがあった時もテレビを見るとつい笑ってしまったり。そうすると、「ああ、笑ってる自分がいる。まだ大丈夫」と感じられたり。

三谷:うん。

青木:『23階の笑い』は一つのヒット番組、スターが終わっていく話。コメディではありますが、毎回稽古でほかの方の芝居を見ていると泣けてくるんです。私はずっとバラエティに携わってきましたが、みんなどんな思いで番組を作っていたか。今だって、「テレビを見ている人が一人でもいい、元気になってくれたら」という思いで番組をつくっている芸人さんやスタッフさんがたくさんいるはずです。だけど、どんな番組でもいつかは終わりが来る。その悲しさが『23階の笑い』から伝わってきます。

三谷:今はドラマを含めて、テレビそのものに力がなくなっている気がしますよね。なんとかしたい。なんとかしたいけど、僕はテレビと一緒に心中はしたくない。でも見捨てるつもりもない。そんな感じです。

青木:はい。私も、必要としてもらえるならばテレビに恩返ししたいです。

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放送作家をやめてドラマへ進出。
感じたのは、喜びよりも安堵感


青木:劇団「東京サンシャインボーイズ」の復活がすごく楽しみなんですが、三谷さんは、放送作家として売れ始めた頃、サンシャインボーイズと二足の草鞋状態でしたよね。大好きなテレビで徐々に売れ始めた時は、ご自身の中ではどんなふうに思っていたんですか?

 

三谷:放送作家を始めた当初は情報番組やバラエティ番組を担当していて、下っ端だったので、“デンスケ”という録音機材を担いで街頭アンケートを録りに行ったりしていました。はっきり言って向いていないと思っていた。それでもギャラはよかったので、そこで稼いだお金を劇団に回すために続けていたという感じでした。

青木:放送作家の仕事は向いていないと思われていたんですね……。テレビドラマはいかがでしたか。初めてのドラマは『やっぱり猫が好き』(1988〜91年/フジテレビ系列)ですよね。あの頃、興奮しながら見ていました。

三谷:結局、才能もないのにお金のために放送作家を続けることが嫌になって、所属した事務所も辞めてフリーになったんです。ところが辞めた翌日、つまりフリー1日目に『やっぱり猫が好き』のディレクターから「書かないか」と電話がきて。たまたま彼が僕の舞台を見てくれて、この人に書かせたいと思ってくれたらしいんです。ドラマ脚本家になれたきっかけは、まさにその奇跡的な1本の電話でした。

青木:「やったぁ!」って感じでしたか?

三谷:そもそも放送作家を辞めようと思ったきっかけが『やっぱり猫が好き』だったですから。あれを観て、あんな面白いものがあるのに、どうして僕はそこに参加出来ていないんだと、本気で悔しくて、自分はもうテレビの世界からは足を洗って演劇に専念しようと思った矢先に、その番組からオファーがあったわけで、ちょっと信じられなかった。