誰かの悲しみや不幸は、自分の承認欲求を満たす材料ではない
こうした宇野選手の思慮深さは他の場面でもしばしば見られます。印象深かったのが、2019年2月、四大陸選手権で初優勝を果たしたあとの帰国会見。その日、競泳の池江璃花子選手が白血病であることを公表。マスコミは、そのことについてどう思うか宇野選手にコメントを求めたのです。
なぜ池江選手とまったく関係のない宇野選手に聞く必要があるのか、とにかく見出しになりやすいフレーズを求めるマスコミの取材態勢に疑問を禁じえませんが、そんな雑な質問にも宇野選手は冷静でした。
自分は無知なので、白血病が何なのかとか、詳しいことは応えられない。
ただ病気やけがは、人が思うより自分が一番苦しい。
僕がそんな無知な状態で何か発言する権利はないと思う。
(出典:スポーツ報知 2019年2月12日)
安直に答えることで、誰かを傷つけてしまう可能性があることをわかっているからこそ、軽率な発言は慎む。天然と言われることの多い宇野選手ですが、本質はむしろ聡明で理知的なのではないかなと、このとき強く感じました。
基本的に「大切なことほど語らない」のが宇野選手の美学。ソチ五輪銅メダリスト、デニス・テン選手が悲しい事件で命を落としたのは2018年7月のことでした。同月21日、母国・カザフスタンで、テン選手の市民葬が執り行われる中、同日、日本のアイスショーに出演していた宇野選手は黒い衣装を身にまとって『See you again』を披露。この曲は、ウィズ・カリファとチャーリー・プースによる楽曲で、主題歌を飾った映画『ワイルド・スピード SKY MISSION』の主演俳優であり、映画の完成を待たずに亡くなったポール・ウォーカーへの追悼歌としても知られています。
宇野選手本人はこの曲を選んだ意図を説明していません。けれど、多くの人はあまりにも早すぎたテン選手の死を悼む宇野選手の想いを、そのパフォーマンスから感じたのでした。
職業柄でしょうか。何か大きなニュースがあると、どうしてもうまいことを言ったり、レトリックに凝ったり、あるいは誰もまだ気づいていない本質を指摘して称賛を浴びたいという欲求が頭をもたげてくることがあります。でもそんなときこそ思い出すのは、〝答えたくもない〟と回答を拒否した宇野選手の毅然たる姿勢。誰かの悲しみや不幸は、自分の承認欲求を満たす材料ではないのです。世の中には、口にしなくていいことがたくさんある。いろんな情報が大量に消費されてしまいやすい現代において、宇野選手の他者への礼節と分別から学ぶべきことは多い気がします。
12月17日に誕生日を迎え、23歳になった宇野昌磨選手。記者の質問に小さな声で答えていたシャイなジュニア時代と比べると、顔つきも佇まいもすっかり大人の男性に成長しました。それでも、宇野選手の愛され感がまったく変わらないのは、彼のほのぼのとしたキャラクターが癒しになっているだけでなく、こうした人としてまっとうな考えが共感を呼んでいるからのように思えます。
第1回「羽生結弦選手「壁の先には壁しかなかった」自身の言葉からひも解く強さの秘密」>>
第3回「涙の代表落ちから3年…樋口新葉選手の挑み続ける姿にもらい泣き」12月25日公開予定
第4回「若年化進む女子フィギュア界で奮闘。“女帝”リーザの言葉が教えてくれること」12月26日公開予定
- 1
- 2
Comment