ドラマティックな滑りで人々に感動をもたらすフィギュアスケート。この競技の最大の魅力は選手の個性が全面に出たスケーティングにありますが、同時にその言葉にも選手それぞれの生き様が垣間見えます。そんなフィギュアスケーターの言葉にフィーチャーする本コラム。
第1回目に登場するのは、世界の至宝・羽生結弦選手です。常にインタビューでは明晰なボキャブラリーで自身の内面を語り、その言葉の力も大きな魅力となっている羽生選手。今回は、2014年のあるインタビューで登場する言葉から、いかに羽生選手が稀有な存在であるかを語ってみたいと思います。
羽生選手の、飽くなき挑戦心を支える言葉
たくさん乗り越える壁を作っていただいてこんなに楽しいことはない。
この壁を乗り越えた先にある景色は絶対に良いものだと思っています。 (出典:『王者のメソッド』野口美惠・著/文藝春秋・刊)
羽生結弦選手を、羽生結弦選手たらしめているもの。それは、飽くなき挑戦心だと思います。他の競技と比べても選手生命の短いフィギュアスケートは、五輪の頂点に立った時点で燃え尽きる選手も少なくありません。そんな中、五輪2連覇という66年ぶりの快挙を成し遂げてなお高みを目指す情熱。羽生選手の進化が止まらないのは、どんなときも限界を決めず、常に自らに新しい課題を課してきたからに他なりません。
そんな羽生選手のスペシャリティを強く感じたのが、冒頭の言葉です。人は、できれば困難や負荷を遠ざけたい生き物。〝たくさん乗り越える壁を作っていただいてこんなに楽しいことはない〟なんて言える人はそう多くはありません。けれど、それを心から言えてしまうのが、羽生結弦選手の強さ。しかも、この言葉に至った背景を遡ると、改めて畏敬の念が沸いてきます。
発端は、2014年11月に行われた中国杯です。ソチ五輪王者として初めて臨むグランプリシリーズ。プログラム後半に4回転を跳ぶ。そんな新たな課題を前に、羽生選手は強い気迫をもってフリースケーティング当日を迎えました。が、本番直前の6分間練習で中国の閻涵選手と衝突。氷の上で倒れ、救護スタッフの助けがないと立ち上がれない状態の羽生選手に、世界中から悲鳴があがりました。
棄権もやむなし。そう誰もが胸を痛めた中、「脳震盪は起こしていない」というドクターの判断を受け、羽生選手は続行を決断。コーチであるオーサーの「ここでヒーローになる必要はない」という制止を振り切り、自らの意思でリンクの上に立ちました。
結果、銀メダルを掴み取りましたが、羽生選手のこの決断は、フィギュアスケート界にとどまらず、社会全体で議論を生み、中には羽生選手に対する厳しい意見もあったと記憶しています。事故後のコンディションはどうなのか。次戦も羽生選手は出場するのか。その動向に注目が集まる中、羽生選手は翌月のNHK杯に出場。相次ぐミスで総合4位にとどまりましたが、それでも中国杯の2位が功を奏し、グランプリファイナルへと望みをつなげました。
事故のトラウマ。身体へのダメージ。そして、社会からのしかかる重圧。このNHK杯は、羽生選手にとって10代最後の試合。まだ19歳の少年が立ち向かうには、あまりにも過酷な逆風でした。それでも、そんなNHK杯を経て羽生選手が口にしたのが〝たくさん乗り越える壁を作っていただいてこんなに楽しいことはない〟という言葉。ここで楽しい、と言えてしまうメンタリティ。とても簡単には真似できませんが、けれどこの不撓不屈の精神が、羽生結弦選手を二度のオリンピックチャンピオンへと導いたのでしょう。
思えば、平昌五輪のときも、右足関節外側靱帯損傷により実戦は118日ぶりというぶっつけ本番。けれども、そんな壁をものともせず、堂々たる演技で2枚目の五輪金メダルを獲得しました。他にも度重なる怪我や病気など、羽生選手のキャリアは、その輝かしい記録の裏側で常に波乱に満ちていますが、そのたびにきっと〝たくさん乗り越える壁を作っていただいてこんなに楽しいことはない〟の精神で向かい風を味方につけてきたんだと思います。
その視線に思わず息をのむ…氷上を舞う羽生選手
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