「プライド高すぎだよね」と笑う絵梨香に、早希は急いで首を振る。完璧じゃなくなってしまうという恐怖……その気持ちは早希にも理解できたからだ。

28歳で婚約破棄を経験したとき。彼に裏切られたこと、それ自体ももちろんショックだった。しかし確かに早希も恐怖に怯えたのだ。

有名大学に入り大企業に就職し、適齢期に結婚して子どもを産み育てる。順調に走ってきたはずのレールから滑落してしまった。その現実を受け入れるのが怖かった。

「でもね、美穂と話して私自身も気づかされたの」

黙ったままの早希に向かい、絵梨香がゆっくり口を開く。

「完璧とか、普通とか正解とか……そんなの本当にどうでもいいよね。幸せを感じられなきゃ、何の意味もない」

絵梨香のセリフに、早希も今度は大きく頷いた。本当にその通りだ。

人生は自分だけのものだ。他人に評価される必要も皆と同じ生き方をする必要もない。たとえレールを外れたって、自分らしくいられる方がよっぽど幸せだ。

「……美穂も、気づいてくれてるといいな」

祈るように呟くと、早希は美穂にテレパシーを飛ばすつもりで天を仰いだ。
 

雑誌が売れない時代。ついに訪れたXデー

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『お客様のおかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか……』

繰り返された自動音声アナウンスに、早希はデスクで思いきり眉をしかめた。

――まだ圏外……?

絵梨香と別れてオフィスに戻った後、早希はさっそく美穂に電話をかけていた。お節介は百も承知だが、絵梨香と話したことで少しは気が変わり、今度こそ話ができるかもと思ったからだ。

しかしLINE通話も繋がらず、チャットも既読にならない。番号にかけても圏外アナウンスが繰り返されるだけだった。

ほとんどの時間を家で過ごす美穂の充電が切れているなんておかしいし、たまたま出かけているとしても、都心で電波の届かない場所など限られているのに。

『大丈夫?何かあればいつでも連絡してね』

LINEチャットを開き、3回ほど書いては消した後で送信ボタンを押した。それでもやはり、既読にならない。

――変だわ。何も起きていなきゃいいけど……。

嫌でもモラハラ夫の顔がちらついて、早希は不安とともにスマホを見つめる。

「進藤さん、ちょっと」

その時、よく通る声に名前を呼ばれた。振り返ると、思いがけず編集長が立っていた。

40代半ばの編集長は、社内でもファッションリーダー的存在の華やかな美人だ。入社面接で「アナ・ウィンターが目標」と公言したとか。そんな逸話がまことしやかに囁かれる有名人でもある。

大きな瞳で「会議室へ」と目配せされ、急いで立ち上がった。足元の鮮やかなグリーンに目を奪われながら後ろをついて歩く。

「まだ全員には伝えてないから、オフレコでお願いしたいんだけど」

部屋に入るや否や、編集長は眉をピクリと動かし口を開いた。マスクのせいで表情は読めないものの、張り詰めた空気に緊張が走る。……嫌な予感がした。

「ウチの雑誌、ついに月刊廃止が決まった。春からは季刊誌になる」

「えっ……」

心臓を突かれたような衝撃とともに、気の抜けた声が出た。

ファッション誌の不振は今に始まったことではない。社内でももう何年も不採算部門の筆頭だし、予想できた事態ではあった。それでも現実として突き付けられると言葉を失ってしまう。

だが早希より編集長の方がよりショックを受けているだろう。彼女は赤文字雑誌の全盛を築いた一人だし、ファッション誌に対する情熱やこだわりを語り出したらきっと一晩じゃおさまらない。そんな編集長のことを、早希も心から尊敬しているのだ。

しかしながら当の編集長はというと……落胆も動揺も一切見せず、事務的な口調のまま早希に予想外の提案をした。

「そんなわけで進藤さん。次はママ雑誌の編集長をやってみない?」
 

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早希が編集長に昇進!?そして音信不通の美穂……閉ざされた家の中で、さらなる悲劇が起こる
 
撮影協力/ララ ファティマ表参道ブティック
撮影/大坪尚人
構成/片岡千晶(編集部)