“風の時代”で変わる価値観


「ご、ごめん!美穂ちゃん、そんな警戒しないで。別に変な意味で言ったんじゃないんだ」

美穂が返事をできずに黙っていると、透は焦ったように弁解を始めた。

「いや、なんていうか……DVなんて身近で初めて聞いたし、昔の可愛い後輩がそんな被害に遭うなんて、俺も悔しくてさ……」

透の言葉に、美穂は顔と耳がカッと赤くなるのが分かった。

一体、何を勘違いしていたのだろう。

学生時代の先輩である彼と話しているとつい忘れてしまうが、美穂はもう40歳の子持ちのおばさんだ。最近は慌ただしい日々の中で美容のメンテナンスも全くしていない。そんな自分に透がおかしな気を起こすわけないのに。

彼は単純に、不幸な美穂に純粋な同情を寄せているだけなのだ。

「い、いえ。私こそ、ごめんなさい……。透さんは昔から優しいから、私みたいな悲惨な状況の後輩は放っておけないですよね」

「いや、悲惨なんて……そんな風に言わないでよ」

「でもこの歳でDV、離婚、シングルマザーなんて、安っぽい週刊誌の特集みたいじゃないですか?」

冗談として流そうとしたのに、失敗した。

今度は透が黙ってしまった。

必要以上に自分を卑下するのは甘えと保身だ。気まずい空気の中で手持ち無沙汰にアイスコーヒーを飲み干すと、喉の奥まで一気に苦味が広がった。
 

「シングルマザーなんて無理...」無収入の主婦が、モラハラ夫と離婚を決意した理由スライダー2_1
「シングルマザーなんて無理...」無収入の主婦が、モラハラ夫と離婚を決意した理由スライダー2_2
「シングルマザーなんて無理...」無収入の主婦が、モラハラ夫と離婚を決意した理由スライダー2_3


「ねぇ美穂ちゃん。“風の時代”って聞いたことある?」

すると、透がカフェの外を眺めながら呟くように言った。

「産業革命の頃から約200年続いた“土の時代”が終わって、去年末から“風の時代”が始まったって話。けっこう有名な占いの話なんだけど」

「……知らないです」

「“土”は、物質や財力を象徴とする時代だったんだって。だから今までは学歴や組織、秩序、制度なんかが重要視されてた。どこかに所属したり何かを所有するのが正しい、みたいな価値観がね」

「へぇ……」

「でも“風の時代”ではそれが全部吹き飛ばされて、心や知性、個性、情報やネットワークとか、目に見えない価値が重要になっていくらしいよ。常識やルール、世間体なんかは衰退していくから、他人の評価や批判も気にしなくていい。何にも縛られない、スナフキンみたいなキャラクターがお手本だって」

透いわく、風の時代の入り口となったのは新型コロナウィルスだという。たしかに去年の緊急事態宣言以来、世の中は一変した。

「スナフキンって……懐かしいですね」

美穂は子供の頃に観たムーミンのアニメを思い出す。

スナフキンは孤独と自由を愛する少し変わり者だったが、ムーミン谷ではみんなから慕われている穏やかなキャラクターだった。

「面白いのが、一説によると結婚制度もなくなるって言われてるんだよ。男女間でも“所有”の概念が薄れていくって……まぁ、昭和生まれの俺にはちょっと理解できないけど」

透は目尻を下げて小さく笑うと、美穂に向き直った。

「だから考えようによっては、これから再スタートする美穂ちゃんにはピッタリな時代じゃない?全面的に信じるわけじゃないけど、良いことだけ信じるのが占いだからね」

彼は本当にいい人だ、と美穂は心の底から思った。この笑顔を見ていると、どうにか前に進みたくなる。

「分かりました。私、スナフキンを目指しますね」

思い切ってそう答えると、今度は透は声を上げて笑ってくれた。