昨年末刊行された著書『子育て後に「何もない私」にならない30のルール』が話題になっているボーク重子さん。
いい妻、いい母であろうと専業主婦を選んだ経験から、経済的自立の必要性を痛感したと言います。でも、仕事の実績もなければ自信もない……。そこからどのようにキャリアを積んでいったのか。
現在、ライフコーチとしても活躍中のボークさん。自身の経験とコーチングの知識から、ブランク後の経済的自立法について教えていただきました。

 

ボーク重子:Shigeko Bork BYBS Coaching LLC 代表。国際コーチング連盟会員ライフコーチ。英国で現代美術史の修士号を取得後、1998年にアメリカ人男性と結婚し渡米、娘を出産する。専業主婦期間を経て、2004年にアジア現代アートギャラリーをオープン。2年後にトップギャラリーの仲間入り果たし、ワシントン誌の「ワシントンの美しい25人」に選ばれる。また娘を「全米最優秀女子高生」に育てた母としても知られる。著書に『心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育「非認知能力」の育て方』(小学館)、『「全米最優秀女子高生」を育てた教育法 世界最高の子育て』(ダイヤモンド社)など。

 

自分の意志でスーパーで洋ナシすら買えず自立を決意


アメリカで現代アートのギャラリーを成功させた後、現在はセカンドキャリアをスタートさせライフコーチとして活躍しているボーク重子さん。
日米での講演の他、「ボーク重子の非認知能力を育む子育てコーチング」を主宰し、多くの母親たちへのサポートに努めています。
まさに、自分の人生を自分で切り開いてきた、という言葉がぴったりのボークさん。ですが、意外にも結婚して出産後は、良き妻、良き母になろうと専業主婦の道を選んでいた時期があり、その間、とてつもないモヤモヤ感を覚えていたそう。

「モヤモヤの正体って2つあると思うんです。1つは、この不安定な時代、専業主婦でずっといることの危険性。今やパートナーに何があるか分からない時代です。定年まで働ける終身雇用が当たり前じゃないし、健康リスクだってある。何よりコロナウイルスで、誰もが仕事がどうなるか分からない状況。私も専業主婦だったときは、夫に万が一何かあったらどうしよう、と怖かったんですね。それに、絶対に離婚にならないという保証もない。“普通に生活していく”という基本的なことで、ものすごい不安があったんです」

でもそれ以上に大きかったのは、「自分で稼いでいない」という惨めさだったと言います。実はボークさんが「自分で稼ごう!」と決めたのは、ある日起こった、本当に些細な出来事がきっかけだったそう。

「それは夫とスーパーに買い物に行ったときのことでした。私は洋ナシがすごく食べたくなって、目の前にあった800円ぐらいの洋ナシ5個セットをカゴに入れたんです。すると夫が何気なく『それセールじゃないよね』と言い、とっさに私は『あ、ごめんなさい』と洋ナシを棚に戻したんです。その瞬間、『もうイヤだ!』と。
目をそらさずに経済的自立問題ときちんと向き合おう、と決めたんです。

人によって考え方はいろいろあると思いますが、やはり私にとっては“お伺いを立てずに使えるお金”というのがすごく重要だったんですよね。
専業主婦時代の私はずっと、夫のお金を使うたびに『すみません、買ってしまって』と思ったり、欲しいけれど稼いでないから仕方ないと諦めたり……。

でもこれは、自分で自分らしく生きるための決定権を手放しているようなものだ、と気づいたんです。もちろん皆さん、手放したくて手放しているのではなくて、そういうことになってしまった、という方が多いと思うんです。

やはり女性は、周囲からいい妻、いい母であることを求められますし、自分自身も無意識にそうあろうとしますから。でも仕事をするとどうしてもそれが完璧にできなくなるので、何となく『子育てが落ち着くまで』と家庭に入ってしまう。そういう方は、今も非常に多いのではないでしょうか」
 

最初の一歩をいかに小さく踏み出せるかが鍵


しかしこの「子育てが落ち着くまで」が曲者だとボークさんは言います。というのも一度仕事をやめて家庭に入ってしまうと、そこから一歩を踏み出すことは想像以上に難しいものとなってしまうから。
ボークさんも再び働こうとしたとき、自分に対するニーズのなさに愕然としたと言います。

「洋ナシ事件を経て(笑)、憧れていたアートの世界で仕事を探そうと決めたんです。当時の私は、3年間の学生生活と2年間の専業主婦期間を合わせて、計5年間のブランクがあったんですね。

とはいえ29歳までは外資系企業でバリバリ働いていましたし、大学院でアートの修士号も取っていましたから、すぐに何かの働き口は見つかるだろうと思っていたんです。
ところがこれが全滅で。
というのも私が働いていない5年の間に、世の中はものすごく進んでいたんです。テクノロジーも、あんなに勉強したアートの世界も。それで最終的にボランティアで美術館のはたきかけをする、というところからスタートしたのですが……」

社会は日々刻々と進化しているもの。一回自分を止めてしまうと、「やりたい」という気持ちがあってもその変化に臆して踏み出す勇気が出なくなってしまいがち。
でも本当は働きたいからモヤモヤは消えない……。今ボークさんはライフコーチとして、そんな女性たちに再スタートの踏み出し方をアドバイスしています。

「私たち日本人は、100点からの減点法で育ってきています。それゆえ何事も最初から100点を目指して、どうしても目標設定のハードルが高くなってしまうんですね。
だけど成功の鍵というのは、どれだけ小さく夢を見て、どれだけ小さい成功を積み重ねていけるか、にあるといっても過言ではないんです。

この小さな成功の積み重ねは、最終的に“自己肯定感”につながる。自分はできる!と思う気持ちですね。育休などでしばらく仕事を休んでいた人は、この“できる”という感覚が弱まっているんです。
そこを無視していきなり高いレベルからスタートしてしまうと、上手くできなくて自信を失ってしまう。だから小さなことから始めて“できる”を積み重ねていったほうが効果的なんです」

ボークさんも、アートの修士号こそ持っていたもののアートの世界で働いた経験はなかったし、当時子供は1歳でまだまだ手がかかったことから、大きな一歩を踏み出して上手くやれるのか自信がなかったそう。
そんなとき「ボランティアならありますよ」と言われ、それなら自分にもできそうだし失敗してもダメージは少ないだろう、と踏み出す勇気が持てたと言います。

「単なる“はたきかけ”、と言ってしまえばそれまでなんですけど、実際に始めてみると、はたきかけをしている自分ってすごいなと思えたんですよ。そりゃあ正直言うと、働こうと決めたときは、自分の中ではもうすっかり学芸員気分でしたよ(笑)。それが現実とはこういうものか……と。

でもね、そのはたきかけを始める勇気を持てた。この、全くの初心者から始める勇気を持つことって、実は想像以上に大変で。当時の私は自己肯定感がすっかり下がっていたので、週一回のはたきかけが精いっぱいでした。そうやって小さく一歩ずつ踏み出して、今日まで自分を育てることができたんです」

 
  • 1
  • 2