浅利慶太先生の教えが、僕の血となり肉となっている

 

役者の道の入り口は、専門学校の演劇俳優科に入学したこと。しかし志望動機は「超気軽」なものでした。

「高校時代から、人前に立つことが嫌いじゃなかったんです。ラップバンドを組んでたんですよ。担当はラップでした。本当はDJとしてキュッキュッしたかったけど、全然できず、声もデカいってことでラッパー(笑)。そういう高校生だったので、『舞台とか映画とかラクそうだな』くらいの気持ちで専門学校を選んだんです」

到底モチベーションが続くわけもなく、ドロップアウト寸前……。そんな折、劇団四季出身の先生の授業で観たミュージカル映画『ジーザス・クライスト=スーパースター』が、吉原さんの人生を変えました。この作品を何が何でも演じたい。その熱い想いに突き動かされるように、卒業後は、その作品の版権を持っていた劇団四季へ。

 

「浅利慶太先生との出会いは本当に大きかったですね。ものすごい怖い人でした。劇団四季には11班あるんです。全部の班分、11冊の台本を持ち、稽古に出ていたこともあります。そうすると、先生がわざと誰かを怒って、『(その人の役に)挑戦したいヤツが来てるぞ。やってみろ!』って急に言うんですよ。とにかく必死に食らいつきましたけど、先生の期待が辛かったこともあります。いろんな評価もある方ですが、僕にとっては、すべてが先生の愛情だと思えたし、僕の血となり肉となっているんです」

 

退団後は、自らの劇団「Artist Company 響人」を旗揚げ。そこでも、大きな出会いが待っていました。それが、史上最年少で新国立劇場の演劇部門芸術監督になった演出家・小川絵梨子さんです。

「演出家不在の劇団で、喧嘩ばかりしてたんです。これはよくないから、ちゃんとした人に師事しようとワークショップをお願いしたのが、小川絵梨子さんでした。彼女の演劇的説得力に、雷に打たれたかのような衝撃を受けましたね。絵梨ちゃんは、カリスマ性で押し切って、役者に反復させるタイプではないんです。たとえば、『これは赤なんだから、赤くなれ』と言わず、なぜここは赤である必要があるのか、そして今の僕の色を見て、そこにどんな色を足せば赤くなるか、明確に説明してくれるんです」