こんにちは。〔ミモレ編集室〕のHanaと申します。

40代になって少し経つと、同世代の間で出産の報告を聞くことがなくなってきます。
子どもを持つことを諦めるかどうか、人知れず心の整理に悩む世代でもあると実感します。

今回お話を伺ったのは、45歳の誕生日までに不妊治療の結果が出なかったら子どもを諦めると心に決めていたところから一転し、1年後、特別養子縁組で3歳の女の子の母となった明恵さん(仮名)です。

明恵さんは保育人材のコンサルティング会社を経営するキャリアウーマン。仕事を通じて知り合いましたが話題によく上るのが現在8歳のお嬢さんのことです。
時にはその成長ぶりを、時には一筋縄にいかない子育てについて心に刻むように話される様子が印象的でしたが、最近になってお嬢さんが養子縁組をしたお子さんであることを知りました。

明恵さんがどのように養子縁組を決断し、親子の時間を紡いできたのか伺うことで、子どもを持つか諦めるかという悩みへの一つのヒントになれば嬉しいです。

 


決断の日はあるとき急にやってきた


45歳になるまで5年間、不妊治療を続けていたという明恵さん。ぎりぎりまで陽性反応が出たり、着床したりということが続き、この日が来たら諦めようと考えていた45歳の誕生日を迎えても踏ん切りがつかずにいました。しかし、あることがきっけかけで一気に気持ちの整理がついたといいます。

明恵さん 夫がインターネットで養子縁組の事を調べて見せてくれたんです。それを見た瞬間、なんで今まで気が付かなかったんだろう!?と視界が開けるような感覚でした。ずっと夫との子どもを産むことに執着してきたけれど、私が欲しかったのは子どもを育てる家族としての時間。自分の産んだ子どもであることにこだわる必要がないと気づいたんです。

夫婦で一晩いろんな事例を調べました。養子とする子どもとの出会いは児童相談所経由と特別養子縁組をコーディネートするNPOを介する場合があります。私達は不妊治療にたくさんの費用をかけてしまっていたので、さらに費用のかかるNPOでなくまずは児童相談所に相談しよう、と翌朝9時に電話をしました。そこからは驚くほどトントン拍子に、子どもを引き取る認定を受けるための研修やボランティア活動の日程が進んでゆきました。

認定を得るときには、あらかじめ子どもの引き取り方を決めます。戸籍上は実親とつながったまま18歳まで養育里親として育てるか?実親との関係を断ち、戸籍上も自らの子として養育する特別養子縁組とするか?というものです。日本では圧倒的に里親が選択されるのですが、私たちははじめから自分たちの子どもとして育てることにこだわりました。さらに、養育する私達の年齢が40代半ばになっていますので、子どもとの年齢差を考えて新生児であることにこだわらないということも決めていました。

児童相談所への問い合わせから1年程たったある日、2歳9か月の女の子の紹介を受けました。それが今の娘・香苗(仮名)です。乳児院を卒業して養護施設に移る直前のようでした。事前に写真の提示があり、乳児院を訪ねて本人の様子を見に行きました。そして、手続きを進めてゆくか意思確認がされ、私たちは進めてくださいとお伝えしました。

初対面の日はそこから3週間後でした。乳児院のスタッフの方の後ろに隠れてとても照れている様子でこちらを覗いてにや~っと笑って「ママ……」って小さな声で言ってくれたんです。その瞬間の喜びというのは、忘れられません。もう一生誰かが私のことママって言ってくれることなんてないと思っていましたから。

特別養子縁組のための実親との手続きは、すべて児童相談所が間に入って進めてゆきます。実親さんと直接のコンタクトは一切とれないので、私はせめて手紙を渡してくださいとお願いしました。「この子を産んで下さってありがとうございます。そして手放して下さったことに感謝いたします。責任を持ってこの子が幸せになるように尽くしますので安心してください。」としたためました。

 
  • 1
  • 2