「うっせぇわ」と尾崎豊「卒業」で描かれる“本当の支配者”は誰なのか_img0
 

女子高生シンガーAdoさんが歌う「うっせぇわ」が大きな話題となっています。30代以上の人は、いろいろな意味でざわついているようですが、この歌をよく聴くと、単純な反発ではなく「誰が本当の支配者なのか」という非常に重要な問題を提起していることが分かります。

「うっせぇわ」を筆者が知ったのは、ネット上で「子どもがマネしたら困る」「内容がよくない」といった批判的の声を目にしたことがきっかけでした。確かに上品な内容ではありませんし、子どもたちはほぼ確実にマネをすると思われますが、これはいつの時代も同じことでしょう。

 

昔の話を出すと「うっせぇわ」と言われそうですが、筆者が子どもの頃は、テレビのバラエティ番組も今よりずっと醜悪で、消費者団体や教育関係者がテレビ局に抗議するというのは日常茶飯事でした。筆者も含めて、多くの子どもたちが「悪いテレビ番組」に影響され、今、誌面に出すと差し障りのある表現で大騒ぎしていたと記憶しています。

筆者は、お世辞にも立派な人間であるとは言えませんが、それほど非常識というワケでもありません。周囲の友人も同じような状況ですから、仮に子どもたちがマネをしても、過度に心配する必要はないと思います。

ネット上でも同じような意見があり、その中でよく目にしたのは尾崎豊さんの楽曲との対比です。

尾崎さんは、中高年世代にとっては反抗期のシンボルといってもよい存在でしたが、Adoさん(あるいは楽曲を作ったsyudouさん)と尾崎さんは、まったく異なるキャラクターに見えるものの、歌をよく聴くと両者には共通点があることが分かります。その共通点とは最終的に誰を「敵」にしているのかという部分です。

「うっせぇわ」のサビ(楽曲の構成上、厳密にサビといってよいかは分かりませんが)には、「一切合切凡庸なあなたじゃ分からないかもね」というセリフが出てきます。これは優等生として会社に入り、ソツなく仕事をこなしつつ、アホな上司の態度に内心苛立っている主人公が、上司(あるいは社会の年配者)に向けて、心の中で叫んでいる言葉です。

つまり、若者に対して自慢話をしたり、説教している上司は「凡庸」であると切り捨てているわけですが、自分のことは「頭の出来が違う」と表現していますから、凡庸ではない人、つまり有能な人は存在していると考えているようです。世の中には有能な人は存在しているのですが、自分の目の前にいる上司は凡庸であるという認識です。

 
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