Netflixでシリーズ化され話題を呼んだドラマ『アンオーソドックス』、その同名原作には、主人公が学校の先生にこんな風に言われる場面があります。
「つねに慎み深さを保つこと。(中略)トーラー(ユダヤ教の律令)が秘すべきものと定めた部位(鎖骨から手首と膝頭まで)をあなたがあらわにすると、それを見た男性は罪を犯したことになります。ですが、より罪深いのは罪を犯させたあなたです。最後の審判でその責めを負うのはあなたなのです」
著者のデボラ・フェルドマンさんが描いたのは、自身が生まれ育ったNYブルックリンにある閉鎖的なユダヤ教「超正統派」のコミュニティの実態。母になったことをきっかけに、22歳のときに「コミュニティ」を脱出したデボラさん。そこにあった思いとは、そして外の世界で見出した幸せとは、どんなものだったのでしょうか?
映画も雑誌も携帯も見られない世界で
“自由”と“幸福”の概念もなかった
著書『アンオーソドックス』のあとがきに、「新しい自分と、それにふさわしい生活を築くまで10年がかかった」とデボラさんは書いています。どんな10年だったのか尋ねると、返ってきた答えは「本当に、本当に大変でした」。
デボラ・フェルドマンさん(以下、デボラ):「コミュニティ」を出ることを計画している人に、アドバイスを求められるのは怖いです。本当のことを言えば、怖気づいてしまうだろうから。もし私が10年前にこの苦労を知っていたら、「コミュニティ」を出なかったと思います。
3歳の息子を抱えた22歳のデボラさんには、お金も学歴もコネもなく、経済的苦境に立たされた上に、「コミュニティ」はことあるごとに嫌がらせをしてきます。でも最もキツかったのは、彼女が「他人と繋がれないこと」かもしれません。
どういうことか説明しましょう。例えば、全世界的に知られる映画『007』シリーズを、彼女はまったく知りません。「コミュニティ」ではテレビも映画も見ないし、PCも携帯電話もありません。雑誌はもちろん本も禁止ーーという以前に、「悪魔の言語=英語」を学ぶことが禁止です(とはいえ彼女は、こっそり学んだ英語で古典文学を読んでいました)。その「知らない」は、「見たことがない」「俳優の名前は知らない」というレベルではなく、イメージのかけらさえ持ち合わせていません。
社会との断絶は「自分には生きる価値がない」という実存的恐怖として、彼女の中に居座り続けます。それはカルチャーにとどまりません。驚愕したのは「脱出してから“自由”や“幸福”などの定義は変わりましたか?」と聞いた時のこと。
デボラ:「コミュニティ」のイディッシュ語(ユダヤの言語)には、“自由”や“幸福”といった言葉が存在しない、というところから説明しなければいけませんね。
「え?!」と聞き返した私に、彼女は苦笑しながら続けます。
デボラ:例をあげましょう。外の世界に出てから元夫と話した時、私は彼に言いました。「なぜ私たちと一緒に来ないの?幸せじゃないのに。幸せになりたくないの?」と。すると彼はこう答たんです。「幸せって何?」。言葉がなければ概念は存在できません。もし「幸せ」が自分の人生から欠落していても、概念として存在しないわけですから、その欠落自体を認識できないんです。つまり、私は「幸せ」という言葉を学び、「幸せの概念」を学び、さらに、アメリカ人が信じる「あらゆる人間に“幸せの追求”の権利がある」という考えを、学んで習得したんです。
私の成長過程には、それ以外にも実に多くの言葉がありませんでした。例えばイディッシュには「I love you」がありません。「I like 〇〇 very much」的な言葉はありますが、モノに使っても人間には使いません。「自由」という言葉もありません。ドイツ語の「Freiheit(自由)」に由来する言葉はありますが、それはイディッシュでは「異端者」という意味です。もしユダヤ人に「彼は“freiheit”だ」と言えば、それは「彼は異端者だ」という意味なんです。
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