──ゑみさんは幼稚舎から慶應義塾で、大学までエスカレーターでした。お二人とも慶應の同級生なんですね。
アヤコさん:私は小学校から一緒です。初めて会ったのは入学前。他の私立の女子校の受験のとき、番号が1つ違いだったんです。
小学校でクラスは違ったんですが、隣のクラスに可愛くて元気でやんちゃで、ちょっとおませな子がいるなと思ったのを覚えています。
中学でクラスが一緒になって、ルーズソックスに厚底の靴を履いて、髪の毛の色を明るくして、毎日ゑみの自転車の後ろに乗って渋谷に繰り出していました。
リエさん:私は高校から入学し、それからずっと一緒の仲良しグループです。
最近までもそれは変わらず、常にLINEで繋がっていて、少なくとも2ヵ月に一度は仲間の誕生日会で会っていました。だからだいたいのことは知っています。お互いのこれまでの恋愛も全部わかりますよ。
──その頃からゑみさんはお料理好きだったんですか?
アヤコさん:ゑみのお母さまがお料理がとてもお上手だったので、自然と影響を受けていたのかもしれませんね。私が初めて食べたゑみのお料理は、やんちゃをしていた頃、ゑみの家によく泊まりにいったときに作ってくれた焼うどんです。
リエさん:そうそう、焼うどん!懐かしい。よく作ってくれたね。
アヤコさん:ゑみの直伝レシピで、オムライスも昔から作ってくれていました。
当時、ゑみは習っていたピアノのほうに力を入れていたけど、友だちに手作りクッキーを焼いてきたことも。
とにかく振る舞うのが好きで、お兄さまのご友人やお父さまのお客さまがいらっしゃったときに、ハートをグリップするような料理を作っていました。おもてなしの精神というのは中学生の頃からあったのではないかと思います。
闘病中に行ったインスタライブではふわとろオムライスのレッスンも。
リエさん:高校時代もよく、ガトーショコラを作って私たちに持ってきてくれました。好きな人ができたら、これを作るといいよって。
彼女の料理本で、手作りバレンタインチョコレートの本を見たとき、「ああ、昔から『彼氏にはガトーショコラよ』って言ったなあ」って思い出しました。
アヤコさん:ゑみはブレないんです。
リエさん:ゑみが急逝した後、私ひとりでいるのは辛くて、仲のいい友だちで集まったんです。最初はショックで沈んでいたけれど、ゑみのことを思い出すと、前向きで明るくて、笑いの絶えないエピソードばかりで。
ゑみの話になると最終的にはみんな笑顔になるんです。
こんなことでいいのかなと思っていたら、アヤコがゑみが過去のインスタグラムに自分のお葬式を想像して書いている文章を見つけてくれたんです。
そこには、「私の葬式は、最初は悲しむけど最終的にはビール飲んでお寿司食べてゲラゲラ笑っていると思うんですよね。それが私の理想の死に方です」と書かれていた。
私たちのやっていることはゑみの思っていたとおりのことだったんだねと話しました。
ゑみさんが実際に遺したメッセージ
アヤコさん:ゑみは本当に面白くて、周りを明るくエンターテインする天才です。天国へ旅立ってもなお、人をこんなに笑顔にしてくれる人はなかなかいないです。
リエさん:しっかりしているなと思ったのは、学生時代のとき。
友人たちが楽しく遊んでいる時も、ゑみはピアノのレッスンの日は絶対にそれが最優先で、ウィーンにも音楽で短期留学に行ったり、その辺りの規律はしっかり守っていたんです。
自分がやらなければいけないことは誰にも惑わされず、周りに流されずしっかりと行動していた。
大学の学部を選ぶときも、周囲は深い考えなしに選択をする人もいたけれど、彼女はちゃんとやりたいことを学ぼうと文学部の美術を選んだ。真面目にしっかり考えているんだなと感心しました。
アヤコさん:大学生になると授業の合間を縫って、お料理の教室に通ったり、シェフに会いに行ったり、自分で作ったお弁当を売りに行ったり、その後の目標に繋がることをしっかり積み重ねていました。
リエさん:やりたいことがあると労力を惜しまない。
社会人になってからは、レシピを考えたり、料理の仕込みをしたりで、毎朝起きるのは午前3時ですよ。好きなこと、自分が決めたことに対しての執着はすごいものがありました。
アヤコさん:やり抜く力がすごいよね。人生を駆け抜けたという言葉が本当にしっくりきます。
早くから自分の目標を決めて道を切り拓いていたし、結婚も出産もいちばん早くて、起業も、仕事での苦労も、離婚も、大病するのも、天国へ旅立ってしまうのも、全ての人生経験が誰よりも早かった。
誰よりもすべてを、太く濃く生きたんだと思います。いろんなことを人よりも先に経験する。学生時代から人生の先輩でした。
気付いたらいつも前を走っているのがゑみだったんです。
後編に続く。
構成/片岡千晶(編集部)
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