残業しないニューヒロインを吉高由里子さんが演じてドラマにもなった『わたし、定時で帰ります。』ほか、家事という長時間労働を描いた『対岸の家事』など、社会の問題を鋭く、ときユーモラスに切り取ってみせる作家・朱野帰子さん。
長引く自粛生活の中で、家で仕事をしながら子供の面倒を見る日々が続いたある日、ご自身の異変に気付いて――。「それでも、リモートで仕事ができ、感染もせずに済んでいる自分たちは恵まれている」と語る朱野帰子さんが、コロナ禍で考えた報われにくい労働とは。

Viki Mohamad/Unsplash


観測さえされない「雨」


3年前に刊行された拙著『対岸の家事』でこんな会話を書いた。

「前にテレビで見たんですけど、海の上に降る雨って、本当に降っているのかどうか確かめられないそうなんです」
「え?」
「衛星とかでだいたいのことはわかっても、正確に観測はできないんだって」
「まあ、たしかに、海にはレーダー建てられないものね」
「たまたま通りかかった船だけが、その雨を見るんです」

この「雨」を、私はワンオペ育児を強いられた人たちが流す涙、という意味で書いた。

家事は重労働だ。自分の世話をする程度ならなんとかこなせても、育児や介護などの家族のケア労働がここに加わると、一気に過酷になる。交代要員が確保できなければ家を出ることもできない彼らが流す涙は海の上に降る雨と同じだ。観測さえされない。

Max/Unsplash

今回のコロナ禍でも、どれだけ観測されない「雨」が降っただろう。
東京が最初の緊急自粛宣言に入ったのが2020年3月13日。政府は企業に「できるだけリモートワークを」を呼びかけた。仲間と切り離され、一人で労働することになった人が大勢生まれた。小中高の学校も一斉に休校にされ、保育園からは登園自粛を求められた。

 

私のことを言えば、家で仕事をしながら子供の世話をする、という状況に陥った。

保育園に入園する時には、会社員も在宅勤務者に「子供を見ながらの仕事は無理だ」ということを証明することを求められる。それがいきなり、「子供を見ながら仕事をしなさい」となったのである。我が家の場合、パートナーは朝から18時まで会議が詰まっていたので、フリーランスである私が日中の時間、子供たちを見ることになった。その時、連載を二つ抱えていた。

朝、6時から仕事をし、9時から子供たちの家庭学習や体力保持のための散歩につきあう。仕事を再開できるのは21時。そこから2時まで原稿を書いたが、遅れは取り戻せず、土日も仕事をした。

そんな生活が2ヶ月続くと、脳に靄がかかるようになった。一人でぼうっとできる時間が1日に数分もなく、感情がなくなっていく。

Engin Akyurt/Pixabay

自粛中に家庭内の暴力が増えた、在宅勤務中に我が子を過失で亡くした、というニュースを見るたび怯えた。休息のない日々が続けばどんな人間もまともな精神状態でなくなる。

それでも、リモートで仕事ができ、感染もせずに済んでいる自分たちは恵まれている。

そう思って過ごしていたある日、発作的に外に出て、薄闇の住宅街を歩いた。涙が勝手に出てきて止まらなかった。鬱の初期段階にあるのかもしれないと思った。

連載の予定は大きく遅れた。心身が壊れるのではないかと不安だった。何度も預金通帳を見た。給付金はもらったが、心身が壊れて社会復帰できなくなったとしたら、そこから戻ってくるのは容易ではないことを就職氷河期世代の私たちは骨身にしみて知っている。

あとで知ったのだが、一斉の休校措置に対し、感染症の専門家たちは「あまり意味がない」と言っていたという。なぜ彼らの意見は政府に聞き入れられなかったのだろうか。

 
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