大会などのイベントも同様です。スポーツを見に来る観客の多くは「熱狂」を試合に求めています。また、スポーツというのは基本的に勝ち負けですから、勝者がいれば敗者もいます。その両方のドラマを見たいという思いがあるからこそ、多くの人がお金を払って会場に足を運びます。

大坂なおみ選手の「うつ告白」で、“完璧”と“ドラマ”求めるスポーツビジネスに訪れる変化_img0
 

スポーツ特有のこうした要素を除いてしまい、純粋に競技の面白さだけを魅力にするということになれば、観客の動員数やスポンサーによる支援額は大幅に減ってしまうでしょう。スポーツの試合は「ハレ」の場であり、そうであるが故に、選手には、スーパーマンとしての振るまいが求められていたわけです(ゴルフのタイガー・ウッズ選手やF1のルイス・ハミルトン選手もプライベートでの不調が囁かれていましたが、おおっぴらに議論できる状況ではなかったというのが現実でしょう)。

 

アスリートにも多様性を認め、会見のあり方も含めて自由にした場合、「興業」としての面は弱くならざるを得ません。結果的にお金の流れも大きく変わる可能性があります。

実は、こうしたビジネス面での変化はすでに他の業界で経験済みです。

かつての音楽業界は、今のスポーツ界と同様、スーパースターが市場を引っ張る構図でした。故マイケル・ジャクソン氏のように、私生活がメチャクチャになり、非業の死を遂げるスターも少なくありませんでしたが、こうした闇の部分も含めて消費者にとっては大きな魅力だったわけです。

ところが、ネット社会の発達でSpotifyなど定額配信サービスが定着すると、音楽市場の様子は一変しました。スーパースターが出現しにくくなり、誰もが知るアーティストが減少する一方で、全世界にたった1000人しかファンがいなくても音楽活動を継続できるミュージシャンが増え、音楽の裾野は拡大しました。つまりごく少数の勝者がすべてを獲得する集中型の市場から、広域な分散市場に変化したのです。

おそらくですがスポーツ界も同じような流れにあると考えてよいのではないかと思います。純粋に競技としての魅力だけになれば、1つの大会に動員できる観客数は少なくなりますし、スポンサーも巨額のお金を選手に投じないかもしれません。一方で、多種多様な観戦方法やビジネスのあり方が定着し、マイナーなスポーツも含めて、市場の裾野が広がる可能性があります。

競技に集中したい選手にとってはよいことかもしれませんが、スポーツ界のヒーローになって大金を稼ぎたいと考えている人や、従来のスポーツビジネスで大きな利益を上げていた人にとっては、変化を覚悟する必要がありそうです。
 


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