体を壊す前に気づくべきこと2:“手元にある幸せ”に気づく大切さ


体が健康で、どこも不調がないというのは、とても幸せなことです。でも、私たちは“手元にある幸せ”を「当たり前のもの」として認識してしまう傾向があります。
だから、40代になってようやく、「20代の時は、いかに体力に恵まれていたのか」ということに気づき、「あのときにもっと、あれをやっておけば……」なんて後悔してしまうことがあるのです(苦笑)。
もちろん40代になっても、「これからの人生の中では一番若い」ので、まだ体が動く分、幸せなことなのだということに気づかなくてはいけないのです。

 

この世界に“当たり前のもの”なんてありません。だからこそ、手元にある幸せに気づけるようになることは、人生において大事なことです。結局、それができないと、「もっと!もっと!」と新たな幸せばかりを追い求め、ずっと何かが不足しているような気持ちを感じてしまうのです。
しかも、新たなものを手に入れても、自分のものにした時点で“当たり前のもの”になってしまうので、さらに新たなものを追い求め続けてしまうことも。
「足るを知る」ことは、人としての成熟においても大事なこと。そして、「今、目の前にある幸せに気づき、味わえる人でいる」というのは、“本当の幸せ者”でいるために重要なことなのです。

実は、私自身、先日、左足の膝を捻挫してしまい、3日間、まともに歩けませんでした。トイレに行くだけで一苦労。少し回復してから、近所のスーパーに買い物に出かけたときは、ゆっくり歩くことしかできないので、信号が赤に変わる前に横断歩道を渡り切れるのか、ドキドキしました。なによりも、行きたいところに行けず、やりたいことができない、というのは、とても辛いことでした。
だから、治った時は非常にうれしかったですし、「普通に歩ける」というのが、いかに幸せなのかと実感しました。

この件で、「人は、ある日突然、健康が失われると、こんなにも慌ててしまうのか」ということに気づきました。それくらい私たちにとって、健康な体でいることを「当たり前」だと感じているところがあります。だから、時として無理をしてしまうことがあるのですが、体は、生きていく上で重要な道具であり、“宝物”なのです。
だからといって、宝箱に入れておくわけにはいきませんが、常に「宝物を持っているのだ」と思って、大事に扱うのは大切なことなんですよね。

実は、病気になるまで頑張ってしまう人というのは、ある“重要なこと”ができていないこともあります。それについては、次のページで紹介します。