障害者に対して凄惨なイジメを行っていたことが問題視されていたミュージシャンの小山田圭吾氏が、東京五輪・パラリンピック開会式の楽曲担当を辞任することになりました。大会組織委員会は当初、過去の問題であるとして引き続き起用する方針を示していましたが、本人が辞任を申し出たことで、小山田氏の楽曲は使用しないことになりました。
内容があまりにもおぞましく残虐であることから、ここではあえて書きませんが、小山田氏が障害者に対して行っていたとされる行為は完全に虐待や拷問のレベルであり、とうていイジメという言葉で済まされるような話ではありません。しかも被害者による告発といった形で露呈したのではなく、本人が2度も雑誌で、凄惨な虐待行為を自慢話として嬉々として語っており、それが拡散したに過ぎません。
海外メディアは、こうした問題で忖度することはありませんから、「虐待」などという言葉を使って問題をストレートに報じています。過去の話とはいえ、障害者に対して虐待や拷問を行い、それを公然と何度も自慢していた人物がパラリンピックの音楽を担当するというのは、どう考えても説明のつく話ではなく、辞任は当然のことだと思います。
しかしながら、今回の一連の騒動では、一部から「今の価値観で評価すべきではない」「サブカルの世界にはそうした面もあった」という意見が出ているようです。当時を知らない若い世代の人の中には、30年前の日本はそのような社会だったのか、と思ってしまった人がいるかもしれません。
筆者は小山田氏と同世代であり、問題となった雑誌2誌が出版された1994〜1995年当時は、駆け出しの記者として仕事を覚え始めた時期にあたります。当時の状況を良く知る人間として断言しますが、当時の日本においても、障害者への虐待が大した問題ではないと認識されていた、などということは絶対にあり得ません。
小山田氏が虐待を行っていたと思われる1980年代は、近年と同様、イジメが大きな社会問題となっており、多くのメディアがこの問題を取り上げていました。そして1993年には、山形県の中学校においてイジメ被害者が体育用のマットにグルグル巻きにされて逆さの状態で窒息死し、遺体が放置されるという残虐極まりない事件まで発生しています(山形マット死事件)。この事件は、連日テレビ番組が取り上げ、多くの日本人が衝撃を受けました。
当時と今とで違いがあるとすれば、当時は学校内部の問題に警察など他の行政組織が関与することをタブー視する雰囲気があり、犯罪として立件化することが難しかったという事情があると思います(ちなみに、日本ではこの事件をきっかけに少年法厳罰化の動きが活発になっていきました)。犯罪として裁かれるかどうかという点では違いがあったかもしれませんが、少なくとも明治維新以降、日本社会が障害者に対する虐待を当然視していた時代など存在しません。
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