写真:新華社/アフロ

東京五輪が開幕しましたが、開会式直前は演出を手がけるクリエイターらの辞任・解任騒動がありました。選手の活躍が素晴らしくても、そして五輪が終わっても、どうしてこのようなドタバタ劇になったのか、そして今後どうしたら防げるのかは、検討する必要があると思います。

 

何が今回の事態を招いたかについては、開会式前後にかなりの数の記事やコメントが飛び交いました。私自身は、今まで世界的にはNGでも日本では何となくお咎めナシでやってこれたものが、今回、五輪の理念と照らし合わせたグローバルの基準で、改めてふさわしくないことが明らかになった、ということだと思います。

企業等の人選においても「あの人ハラスメント体質なんだけど、でも優秀だからね」と加害者が見逃されてきた事例は非常に多かったわけですが、MeTooの動きなどでそれも徐々に許されなくなってきたと思います。その意味では、人権意識の重要性が改めて認識され、組織委員会の人選や対応の課題が明らかになった点で、今回の騒動も効用があったと言えるかもしれません。

ただ、直接の引き金はネット上での掘り起しと指摘であり、それに対して組織委員会が、本人から説明を受けたり十分に検証した上で対応する時間もないまま数名が退任となったこと、さらに一部では他の仕事からの降板等にもつながったことは、個人の切り捨てのようにも見えます。数十年も前の出来事で社会的に抹殺されないといけないのか? 過去の言動に一点の曇りもない人なんていないのでは? 社会的制裁を免れている人との線引きはどこに? などと疑問を抱く人も多かったのではないでしょうか。

そもそも五輪については森前会長にはじまり、あらゆる役職からの辞任・解任が続きました。しかしこれらを政治での対応と比べてみると、これまで多くの政治家は何度失言をしても「撤回します」の一言で済ませていることが大半です。とりわけ何度も差別的な発言を繰り返す政治家は、ちょっと言葉選びを間違ったというよりは本音が出てしまったのだろうなと窺えるケースも多く、本来はこういう時こそ根本的な素質を問われるべきではないでしょうか。

では、政治家以外の社会的な活動をする人達についてはどうか。これからも、過去の言動を掘り起こして、不適切な言動が1つでもあれば公的イベントから降ろしていくべきでしょうか。やり直し、再チャレンジは認めない社会であるべきでしょうか。犯罪であればそれに対する刑罰がある程度明確ですが、ネット上の「私刑」にはいつまでも終わりがないように見えます。

これについて私は、新聞記者として記者会見、プレスリリース等を山のように見てきた者として、緊急対応的に出す謝罪文等とは別に、本人が、できれば生の声で「公に説明する場」があったほうがいいのではないかと思います。

 
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