日本より一足早く、我が家の子どもたちは夏休みに入りました。2年連続で気軽に旅行にも行けない環境。何か家でやれることを増やしたいなと思い、2年前に購入し、1ページたりとも開かれることのなかった漫画『世界の歴史』シリーズを、読み聞かせするという暴挙に出てみました。

漫画の読み聞かせってツライです。「ワー、ワー」「ガガガガ」みたいな効果音も読みますからね。1日1話くらいずつ読んでいて、まだ第5巻までですが、小3の息子はそれなりに関心をもってくれています。それなら自分で読もうよと思いつつ……。

一方で気が付いたのは、年長さんの娘の反応。つまらなそうに何となく横目で見ています。が、彼女が身を乗り出しはじめるタイミングがあります。それは、街中の女の子とか、王妃といった、女性が出てくるところ。自己認識が女の子である彼女は、女性が出てくると生き生きとし、逆に男性の登場人物にはなかなか共感しづらいようです。

しかし『世界の歴史』は、歴史的な出来事を大急ぎで追っていることもあり、とくに古代は戦いのシーンが中心。そもそも国の歴史はおおむね武力に基づく闘いの歴史で、権力争いをしているのは殆どが男性です。女性は出てきてもすぐ消えてしまう。そして基本は脇役です。

女性が出てくるシーンといえば、一瞬権力を握った男性の脇にふと姿を見せる妻として(ただし一夫多妻制で何人もいたりする!)、あるいはある程度きちんとした登場人物として出てくるケースでも、クレオパトラや楊貴妃などは婚姻によって歴史に名を残しているという側面があります。

このような女性の登場のみだと、我が家の娘の本そのものへの興味も持続しないし、ただでさえプリンセスもので「結婚してHappily Ever After」のエンディングに慣れているのに、このまま『世界の歴史』を読むだけでは、もはや悪影響ではないかと思い始めました。

これまで私は、女の子向け、男の子向けといったようにオモチャや本を分けて与えることにはどちらかというと反対でした。でも今回、女性だけを集めた偉人伝や女の子向けの漫画がある意味をはじめて強く感じたかもしれません。

なぜなら「歴史を扱った普通の本」が、男性中心で作られているからです。それは、3つの意味において。1つめは、とりわけ歴史の場合、歴史の事実そのものが男性中心であったということ。2つ目はこれまでの歴史というものの描かれ方や研究のされ方が男性目線であった、ということ。そして3つ目は、現代の学習漫画や本の主人公が男の子であることが多いということ。

ということで、女性の歴史を追った本を買ってみました。幸い、ここ数年で子ども向け・大人向けともに女性の歴史を扱った書籍はちらほら出始めているようです。

 


もちろんこういった女の子向けではなくても歴史に関心を持つ女の子も、戦争や権力争いの歴史に興味が持てない男の子もいると思いますが、身近な生活の中や学習の中に織り込まれるジェンダーバイアスをどう解除していけるのか、そのために多様な選択肢が出てきていることはありがたく感じます。

前回記事「「何を言おうが世界は変わらない」オリンピック選手の発言への批判に思うこと」はこちら>>


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