私の高校時代に話を戻します。女子部門だけの練習がはじまり、5人制のフットサル大会に出場するようになりました。部員がフットサルをするのにぎりぎりの5人しかいないゆえに、交代要員もいないなか、チームワークだけは抜群だった私達。

高校1年生のとき、部員5人でフットサル大会に参加した際の写真(左から2番目が著者)。

当時、はじめて開かれた女子の都大会はプロもママさんフットサルも一緒くたに出場するという環境で、私達はプロチームにボロボロにやられましたが、のちに高3の夏に引退試合として出場した小さな大会では優勝もしました。

しかしその前、高校2年生の夏からの1年弱、後輩たちが加わり部員の数が少し落ち着いたころに、私はアメリカに1年間留学しています。チームプレーで何とか大会に出ていた自信をもとに、アメリカの現地の高校でも、当然のようにサッカー部の門をたたいた私は、そこで、もう一度打ちのめされます。

アメリカの高校では試合に出る「Varsity」と、二軍ともいえる「JV」という2種類のチームを設けるのですが、Varsityの顔ぶれを見ると殆ど白人の背の高い女の子たちで、アジア系の子は皆JVにいる。私は「日本ではフットサルだけど試合に出ていた」と言ったので、まずVarsityのトライアルに参加することになったのですが、実際にプレイをしてみて、その理由がわかりました。

別に差別して人種で分けているわけではなく、全然体格もパワーも違うのです。脚が長い、キック力が強い……。私は日本人の中でも小柄な方で、フットサルと11人制サッカーの違いも大きかったとは思うのですが、ここでも私はまた、ついていけない……。

結局JVに入ってアジア系の仲間と楽しくサッカーをしましたし、バドミントンなら、運動神経がいい男子でも経験者でなければ勝てるという経験もあったので種目にもよるとは思うのですが、やはり体格の違いを克服するには、身体づくりも含めて、ものすごい努力をしないといけないんだ、と身をもって感じました。

野球の大谷翔平選手のように、日本人でもアメリカ人を圧倒する結果を出している人はいます。女子サッカーだって、私が高校でやっていたころはまだ全然注目もされていませんでしたが、澤穂希選手はじめ、歴代のなでしこジャパンが世界最強の地位を争ってきました。選手たちの並々ならぬ努力があり、勝負が成り立っているわけです。

だから、体格を言い訳にはできない。重量上げや格闘技は体重別ですが、それを言ったら身長別、体格別にしていかないといけない。そこをテクニックでどう超えるかも含めてがスポーツ。そもそも練習環境なども含めて完全な「公平」なんてないなか、五輪ではトランスジェンダー選手の参加にはホルモン値などの基準を設けています。生まれつきホルモンの値が高い女性が出場できなくなるなどの課題もあり、基準自体にまだ議論の余地があるものの、少なくとも現状ではそのルールの中で争うもの。そういうことなのでしょう。

でも、女性が参入してきた歴史も、トランスジェンダーの方々の権利も、両方を尊重する方法はないのか。もやもやして読んだ『よくわかるスポーツとジェンダー』には、もともと男性のものであったスポーツに、女性は参加する権利を獲得してきたものであると書いてありました。男女別にしても男性用ルールに女性が入っていくにしても、いずれにせよ男女の差異を強調する構造になっていること、そもそも人間を男と女の二種類しかいないと想定している点などに課題があることも書かれています。

よくわかるスポーツとジェンダー」飯田貴子、熊安貴美江、來田享子・編著 ミネルヴァ書房・刊

どうしたらベストなのかについての私の解はまだ出ていません。ただ、男と女の二種類しかいないと想定すること自体に無理がある、という領域は今後どんどん顕在化していくだろうなと感じます。

 

今回の五輪は日本の組織委員会の運営にも様々な問題が見えましたが、様々な点で、根本的に五輪の在り方そのものも問い直すべきときに来ているのかもしれないと思いました。

前回記事「五輪開会式の辞任・解任騒動、過去の言動はどこまで追及されるべきか」はこちら>>

 
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