発信したい気持ちはあるけど「自慢っぽく見えるかな」と投稿をやめてしまった経験はありませんか。年齢に関係なく、イタイと思われるのはイヤだけど、反応がないと寂しいという「自己顕示欲への抵抗」と「承認欲求」のハザマで揺れない人はいないのではないでしょうか。今日はこのネット発信につきものの「自己顕示欲」と「承認欲求」との向き合い方についてお伝えしたいと思います。

 

満たされることのない”匂わせ”


「匂わせ」ってありますよね。自分から明言はしていないけれど、それとなく気付いて欲しいことを仄めかすような言動のことです。主にSNSに投稿する写真や文言のことを指し、ほのめかすのは恋愛関係が多いようです。ある人と同じ時間、同じ場所にいた、お揃いのものを持ってるなどが窺い知れる投稿から「あのアイドルと付き合ってるのでは?」と連想させたりするアレです。まあ、本当の匂わせであることは少なくて冤罪(ファンが勝手に憶測した)も多いようですが……。

 

そういう恋愛絡みの匂わせから縁遠くなっていたとしても、「気付いて欲しいこととメインに書いてある内容が違う」投稿を目にすることは多いのではないでしょうか。

例えば

「ピアス買いました!」(肌めっちゃ綺麗でしょ)
「この作品が素晴らしい」(そこに気づく私の賢さよ)
「噂のかき氷屋に来ました!」(かき氷越しの私おしゃれで可愛い)

など……。透けて見える自己顕示欲って絶対気付きますよね? 他人に対しても自分に対しても承認欲求センサーがバリ3(って最近言わないかな)の私はついうがった見方をしてしまうのですが……。純粋に「かき氷美味しそうだな」と思った人は

「●●のかき氷もおすすめです!」
「そのお店、私も行きました」
「私は抹茶あずきにしました!」

などとコメントをしてくれるかもしれません。しかし、投稿者が本当に承認されたいのはそこじゃないとしたら、承認欲求は満たされないまま。

 

自意識がこじれてなくても、思慮深く、奥ゆかしい大人ほど、賞賛して欲しいことをストレートに言わず、自虐を交えたり、言い訳を添えたり、違う方向からシェアしたり、ズラす癖がついてたりします。ズラしたせいで承認欲の「欲しかったのはコレジャナイ」感が残る……私はこの現象を「匂わせが生む不幸」と呼んでいます。

 
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