最近この夢は見ていなかったのですが、そんなことを思い出しながら『限界から始まる』を読み進めていくと、鈴木さんの結婚願望のようなものはその実、数年前にお母様を亡くされ、お父様には現在新しいパートナーがおり、そのお父様のいる実家には帰る場所がないと感じている彼女の「家族というユニットに属さないことの不安」なのだと分かります。

 

そしてそれに対し、「家族をつくらない選択」をしてきた上野さんは、別に夫も子どもも「安全保障材」にはならないこと、家庭が必ずしも「帰る場所」にはならないことを指摘し、「さいごはおひとりさま」になることの覚悟があればよいとします。

 

この指摘には、私の潜在意識についても言い当てられたような気がしました。結局、私も、夫も子どももいない状態、つまり、家族がおらず、1人になることが怖かったのではないかと。そしてそれを解決する方法が、恋愛や結婚を経て家庭を作ることであるかのような意識にとらわれていた。でもそれは幻であると。

女性をクリスマスケーキにたとえ、イブや当日(25日=25歳)を過ぎると売れなくなるとする揶揄は、さすがに昨今は化石のようなものになっているとは思います。とはいえ、子どもを持つなら年齢的なものを無視はできないし……と、結婚と年齢への焦りは日本の女性たちに付きまとってきました。それもやはり、家族が安全保障材になるという意識ゆえかもしれません。

でも、家族は毒にもなる。DVやモラハラ夫と別れられない妻も、子を支配してしまう親も、やはり「さいごはおひとりさま」の覚悟が足りないからそうなるのかなと考えました。そこが解決されれば、別に結婚したいわけでも子どもを産みたいわけでもない女性が焦る必要もないし、子どもが無駄に生きがいにされて毒親を背負うことも減る。

ただそのためには、個々人の覚悟というよりも、男女ともに経済的自立が確保しやすい社会や、正社員でなくとも安定した雇用と社会保障を受けられる制度にしていくことが必要だとも思います。

限界から始まる』は様々なテーマを扱っており、読み手にも自分のことを語りたくさせる魔力がありますが、私は個々人にとっての出来事をどう社会に位置づけていくかについても大いに考えさせられました。

前回記事「自分のキャリアより子の教育を優先。韓国で広がる「専業主婦イデオロギー」とは」はこちら>>

 
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