我が家では夏休み中、子供たちが2人そろってお泊まりに出かけ、夫婦ふたりで自宅で過ごすことがありました。「子どもたちが巣立ったら、こんなかんじか~」と、自由の感覚と同時に寂しさを覚えました。そして子どもが大きくなってきたタイミングや定年等のタイミングで、離婚をする夫婦が多いことにも納得がいくなと思いました。

 

若いころに恋愛結婚をしても、その後長い間、働きながら、あるいは子どもを育てながらともに生活していれば、その関係性は大きく変わっていくこともあります。その生活の状況がまた「夫婦だけ」になったときに一緒にいたいと思うかどうか、あるいは一緒にいる必要があるかどうかは、人生のステージによって変化していくものではないでしょうか。

少し前に読んだ、山口真由さん著『ふつうの家族にさようなら』を思い出しました。この本は現在、信州大学准教授として家族法を教えている山口真由さんが、ハーバード大学に留学していた際に直面した、家族観と法律の在り方について書いた著作です。

山口さんは東大を主席で卒業したことなどで知られる超エリートですが(私にとっては実は高校時代、大変お世話になった先輩でもあります)、その彼女でも身一つで留学した時は不安だったこと、また留学先の教授らとのやりとり等もヒリヒリするものがあり、留学記としても読みごたえがあります。

本の前半では、米国の生殖医療の実態が描かれており、倫理的な議論や制度が日本よりかなり進んでいるのではと思いきや、「ドナー提供者の情報を知りたければ有料のオプションで獲得できる」など、何かというとカネで解決という資本主義の徹底ぶりに衝撃を受けました。話が進む中で問われていくのは、生殖医療においては「母親」「父親」の定義すら実は曖昧であるということ。分娩や血縁だけではないつながり、それは意思なのか、機能なのかと山口さんは問いかけます。

 
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