こんにちは。週末いかがお過ごしですか?
台風が近づいてきて何となく不穏な雰囲気の東京です。そんなお天気に引っ張られるかのように、今日はなんだか不穏なタイトルを付けてしまいました。

「問題」だなんて何か大それた問題提起をするわけでも無いのですが、素朴な疑問なのです。

もし私が動けなくなったら、誰が介護をしてくれるんだろう?

こんな風に分身して、自分で自分を助けられたらいいのですが。


私は結婚はしておらず、子どももいません。きょうだいもいないので、甥っ子・姪っ子もいません。

サラッとこう書きましたが、ではもし私に甥姪が居たら、介護や看取りをお願いするのでしょうか……?


以前、酒井順子さんが、ミモレで連載していた『ガラスの50代』の「キリギリスは、どう死ぬべきか」という回で、「自分のきょうだいやその子供、すなわち甥姪に迷惑と負担をかけるという心配、を通り越して「恐怖」が待っています。」と書かれていました。

また、ご著書の『子の無い人生』でも、将来姪っ子さんに何らかのお世話になるかもしれない、ということについて触れられていました。


私にはまさに「子の無い」伯母がいます。おそらく今後、伯母に何らかのアクシデントが起きたときは、私がそのサポートをすることになるのでしょうし、そのつもりではいます。
介護になるかもしれないし、そうならなかったとしても、引き受ける諸々はいろいろとあるでしょう。現に、すでにお墓の管理者は私です。


この終わりのないループってなんなのだろう……と、ときどき考えてしまうのです。

でも、母自身も「まさかこんな風にあなたのお世話になると思ってなかった。しかもこんなに早く」と言っていましたが、誰でも好きで病気をしたり、不自由になるわけではありません。

介護が必要になったからと言って、責めるべき相手はどこにもいません。


生きるのにも死ぬのにも、人の手は絶対に必要なのに、家族や親族の手にゆだねられ、起きてしまった状況を、本人も、周りの人間も、どうにか受けいれていくしかないのが現状です。


ふと、介護休業の制度を見直してみると、対象家族は、配偶者 (事実婚を含む) 、父母、子、配偶者の父母、祖父母、兄弟姉妹、孫でした。叔父叔母や甥姪は、ここに含まれていません。

そのうち、伯母をサポートするときに介護休業を取れなくて困る日が来るかもしれません。

でも、私はなんだか少し気が楽になったのです。「やって当然のこと」ではなく、あとはもう、自分の気持ち次第なのだと思えたからです。伯母のために行動するかしないかは、自分の気持ち次第。それはきっと、これまでの伯母と私の関係性の延長線上のものとなるのでしょう。

「誰が介護を?」で、私の場合、もう一人思い浮かぶ人がいます。子どもの頃から一緒には暮らしてこなかった父親です。親と子、じゃぁ当たり前だよね?とは、すんなり思えないかもしれないなぁ……。薄情かもしれないけれど、そのときになってみないと、ちょっと分からないのが正直なところ。


介護しなくちゃというプレッシャーは、出来れば負いたくありません。誰かをケアするのなら、その動機は、自分の素直な気持ちの中にみつけたい。「親子だから」「親族だから」ではなく。少なくとも私にとって、母の介護はそうでした。

介護って誰がするものなのでしょうか?

ムーミンの「まんまる おしりパン」。おしりを向けたいときだってあるのさ。


それでは、よい週末をお過ごしください♪(台風地域の方、気を付けてまいりましょう!)