時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

 

先日、面白い話を聞きました。大学で最先端の研究を行っている科学者が、AIについて一般市民にわかりやすく話すオンライン講座でのことです。AI社会では、人間の教育力、いわば子育ての時に使うのと同じような能力が重要になるというのです。え? 子育て力?! プログラミングとか、テクノロジーに強い人が生き残るんじゃないの? と意外ですよね。話を聞いて、私もいろいろなことを考えました。

 

AIと聞くと、暴走するのではという漠然とした恐怖や、人の仕事がAIに奪われる不安を覚える人が多いかもしれません。実際、AIによってとってかわられる仕事、たとえば事務的な作業などの多くは女性たちが担っており、デジタル化は女性の失業や貧困を悪化させるとも指摘されています。

とはいえAIは、人が作るもの。宇宙からやってきた超知的生命体ではありません。人間との最大の違いは、生身の体のあるなしです。人間にはアインシュタインのような天才もいるけれど、その彼だって肉体の限界を越えることはできませんでした。身体には物質的・時間的に限りがあり、頭蓋骨をはみ出して脳を無限に拡張させたり、永遠に生き続けたりすることはできません。それは、肉の体を持って生まれた私たちの宿命です。

でもAIは、腐りやすいタンパク質の塊ではありません。膨大なデータを覚え込んで、人間が一生かかっても答えを出せないような複雑な計算を素早く行い、人間の脳みそが気付かないような細かい事実を見つけ出したり、それをもとにこれから起きることを予測したりすることができます。便利ですよね。でも、誰かがデータを学習させなければなりません。それをやるのは、人間です。良い教育係が必要なのです。入力したデータに偏りがあると、AIはその偏りをむしろ強化してしまうことも。

今の社会は男女格差があり、女性やマイノリティに対する偏見があります。テクノロジーの世界は白人男性が多く、自身がマジョリティ側なので、そうした偏りに気づきにくい。偏りをそのままにしてAIに大量にデータを学習させると、たとえば画像認識をする際に黒人女性の判別ができない、採用試験で女性を排除してしまうなどの問題が起きてしまいます。韓国では今年1月、20歳の女子大生という設定の人気チャットボットが、女性や障害者、性的少数者へのひどいヘイト発言を吐くようになり、サービスが停止されました。このキャラクターのAIアルゴリズムは、メジャーな通信アプリ利用者の会話100億件から集めたデータをもとにしていたそうです。AIに突如邪悪な魂が宿ったのではなく、人間たちの日常会話を学習して「ここではこう言うのが正解だな」と出した答えがヘイト発言だった、というわけです。家の中で親が人種差別や女性蔑視のヘイト発言を平気でしていたら、子どもはそれが「普通」の会話だと学習して、自分も口にするようになるでしょう。同じことが、人と機械の間でも起きるのですね。

何も知らない赤ん坊に、少年兵として人殺しの訓練をさせる。親の手柄のために、「一流大学に入れ、学歴の低いやつはゴミだ」と叩き込む。そういう教育がなされる限り、戦争も学歴差別もなくなりません。もしその子たちが違う大人の元で育ったら、人殺しにも差別者にもならないで済むでしょう。では、人間よりも遥かに大きく速い脳みそに、何を教えるのか。そのAIの出した答えを、何に使うのか。データを入力したり技術を使ったりする人間次第で、AIはいいものにも悪いものにもなります。それは社会を変えるのです。

人間はAIよりも劣っているのではなく、AI以上に複雑な存在です。そもそも「意識」が何であるかすら、まだ科学的に解明されていません。一人一人が異なり、常に変化し続け、予想外の結果を生む。親子であっても、全く別々の、決して手を突っ込むことも開けてみることもできない頭蓋骨というブラックボックスに入った脳みそを、手探りで育てる作業です。親は失敗もします。子どもに教えられることもあります。それまでにやったどんな仕事よりも難しいのが子育てだと感じた人も多いでしょう。

子育ては「人間とは何か。人の尊厳とは、幸福とは何か。人が生きていく上では何を大切にするべきか」などの本質的な問いを自問しながら、目の前の子どもに向き合う作業。子どもへの眼差しは社会への眼差しであり、哲学でもあります。AIを育てるのにもそれが不可欠なのですね。それこそが人間にしかできないことではないかと思います。

これから必要なのは、私たちの生活をより安全で豊かにするAIを育て、生かすことのできる人。教育力、子育て力がAI社会のスキルとして重視されるとなれば、男性の産休・育休取得ももっと進むかも。そして、人生経験を積んだ人たちが知見をシェアすることも大事ですね。と言っても、単に若者たちに自分の成功談を言って聞かせるのではなく、若い世代と一緒になって、私たちの世界がどのような場所であるべきか、そのためにはどのような技術が必要で、機械に何を学ばせるべきなのかを考え、形にしていくことなのではないかと思います。
 


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