去る東京パラリンピックで聖火ランナーを務めた山田千紘さんは、20歳の頃、列車事故で右腕と両足を無くしました。一時は絶望を味わうも、持ち前のバイタリティで義足歩行のリハビリをわずか半年でクリアし、その後自動車免許取得、一人暮らしを開始し、就職先も見つけます。30歳になった今は航空関連会社に勤務する傍ら、登録者数10万人超のYouTube「山田千紘ちーチャンネル」で片手で料理をする様子や坂道・階段チャレンジなどを配信しています。今回は山田さんの初著書『線路は続くよどこまでも』より、義足歩行を身につけるまでの道程について綴った箇所をご紹介します。

一生忘れない176センチから見た景色


義足で歩けるようになる。

車の免許を取得する。

就職する。

ひとり暮らしをする。

僕はこの4つを当面の目標と見定めた。

 

最初に取りかかるのは「義足」だ。そのために、僕は救急搬送されたみなと赤十字病院から3か月ほどで転院することを決めた。

この病院の医師や看護師、スタッフの方々からは、かけがえのない命をもらった。そしてもうひとつ、笑顔もだ。転院すると決めてからは、この先その命をどう使い、笑顔を誰に向けていくか。そんなチャンレジが始まる気がしていた。

転院先は埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンター。ここはリハビリテーション医療の提供だけでなく、義足の研究所や自立支援局による職業訓練センターが併設されていたから、その後の就職まで見据えていた僕にとってはもってこいだった。

転院した初日。さっそく義足の製作が始まった。切断部位の型を取り、最初に右脚の義足が完成した。その義足を使って立ち上がった状態で、今度は左脚の型を取った。そうして3日後、両脚そろって完成となる。

仕上がった義足を装着してみた。力を入れて足を踏ん張り、立ち上がった瞬間、装着部分に鋭い痛みが走った。

それでも、そのとき立ち上がって見た景色を、僕は一生忘れないだろう。事故以来、久々に見た176センチの身長からの視界は、「僕ってこんなに背が高かったっけ?」と思うほど新鮮だったんだ。


リハビリテーションセンターでの僕は、毎日がチャレンジの連続だった。そして、ひとつできることが増えるたびに、目標に1歩近づけたという喜びと興奮で、どんどん次のステップにチャレンジしていきたいと思った。