義足で1日1万歩


僕の場合、義足歩行のリハビリは、1年から1年半かかるというのが、当初先生方の見通しだった。

折しも大学で同期だった友だちは3年生になり、そろそろ就職活動を始めていた。僕は彼らの自立をある種の目安にしていたから、「ということは……」と自分の人生設計のスピードと照らし合わせてみた。すると……。

1年以上も、義足にかかりきりになっているわけにはいかないじゃないか!

僕は半年で退院すると決めた。

目標を定めれば、ゴールまで猪突猛進するのが僕の性格だ。さっそく先生にお願いしてリハビリ時間を3倍に増やしてもらった。

リハビリメニューのほかにも、院内のトレーニングジムに出向いては、左腕の筋トレに精を出した。負荷のかかったペダルを回したり、ゴムのチューブを引くトレーニングをしたりして、僕の左腕はめちゃくちゃ太くなっていった。

また、自由時間には歩数計をつけ、院内のグラウンドを歩き回った。目標は1日1万歩だ。毎日続けて、少しずつ感覚をつかんでいった。
 

でも、それはとっても不安定な感覚だ。地面が土かアスファルトか。乾いているか濡れているか。平坦か、それとも石が転がっているかなど、地面の状態が変われば、さっきつかんだ感覚は、一気に別のものになるのだから。

だから当然、何度も何度も転ぶわけだけど、両脚義足の僕は、一度転ぶと自力で起き上がれない。でも広大なグラウンドで転倒すると、そこはセンターの建物から遠く離れているので、誰にも気づいてもらえないんだ。そのため、グラウンドを歩くときは携帯持参。これが鉄則。僕は転ぶたびに携帯でセンターに連絡し、誰かに体を起こしてもらっては、また歩き出す。この繰り返しの毎日だった。

 


転ぶことは失敗じゃない


順調に歩けるようになってきたある日のこと。僕はむしょうにラーメンが食べたくなった。リハビリテーションセンターから評判のラーメン屋まで分は歩かなければならない。行くぞ! 食べるぞ! 迷いなんかあるはずがない。

僕は兄と一緒に行くことにした。さすがに分歩き続けるのは楽ではなかったけれど、鼻先のにんじんならぬ、ラーメン食べたさに歩き切って店に到着した。

でも安心したのもつかの間。入口の段差で盛大に転倒!!

「へい、いらっしゃい~。おーっと! 大丈夫ですか!」

店員は倒れた僕を見て思わず叫んでいた。

同時に僕も、右脚を見て叫びそうになった。義足のソケットが壊れている!

兄は慌ててセンターまで引き返し、車椅子を押して戻ってこなければならない羽目になった。

この一件以来、僕は先生方から外出禁止を申し渡された。いい加減にしろっていうことだけど、それでも僕は主張し、義足で出歩くことをやめなかった。

義足で転ぶと、接合部位の肉が引きちぎられるような激痛に襲われる。だけど、それより歩く喜びのほうが勝っていたんだ。

毎日ひたすら歩いた。「左手」が僕の相棒になってくれたように、今度はこの義足が僕の相棒になってくれることを願って。

そうするうちに、いつの間にか僕にとって転ぶことは「大変なこと」「ダメなこと」ではなくなっていた。なぜなら、転ぶたびに、助けてくれる人がいるとわかったから。

これってものすごいことじゃないか?

転ぶたびに、助けてくれる人の温かさと、それに対する感謝を、何度も何度も経験することができたんだ。そして、助け起こしてくれたみんなから、転ぶことを怖れない勇気をもらった。
転ぶことは、悪いもんじゃない。怖れなければラーメンだって食べられる。