義足は道具ではない


よく、トップクラスのアスリートが使う道具は、使う選手のために職人が1ミリ単位の修正を何度も繰り返すと聞く。道具に職人の魂が込められていることを知っているから、選手もその道具を心を込めて大切に使う。

僕にとっての義足もそうだ。義足は使用する人の脚に合わせて型を取り、ひとつずつ特注で製作される。脚の太さや切断状況は人それぞれ違うので、その人の状態に合わせて、歩きやすくフィットする義足を作らなければならないからだ。接合部の加工が1ミリ違うだけで、歩行するときの痛みや違和感は大きく違ってくる。

そこまで調整しても、実際に義足をつけて歩いてみると、接合部に痛みや違和感がどうしても発生する。だから「接合部分のここが痛い、感触が違う」ときちんと意思を伝え、細かく調整していかなければ、自分に合った義足には仕上がらない。

右腕と両足を失った東京パラリンピック聖火ランナーが「転ぶことを恐れない」理由_img1
 

こうして出来上がった義足は、僕にとって唯一無二のもの。そして、そんな義足を作ってくれた人が、義肢装具士の中村隆さんだ。

「職人」と聞いて、みんなはどんな人物像を思い描くだろう。僕には無口で頑固なイメージがあるけれど、まさに中村さんはそんな感じ。

淡々として必要以上に話さない。だから、必要以上に話す僕は、最初どう接したらいいかわからなかった。キャッチボールにたとえると、10球投げても2球しか返ってこず、その2球の受け止め方すらわからない感じ。

でも、僕は遠慮しない。僕のコミュニケーション能力は、自他共に認めるくらい高いんだから。

僕は質問したり、要望を伝えたりして、中村さんは淡々と加工を繰り返す。僕が装着して歩いてみて、感想を言って、中村さんはやっぱり淡々と、何度も繰り返し調整をしてくれた。

こんなふうに中村さんと僕は、二人三脚で義足作りをしていった。

そうしていつの間にか、僕は中村さんをめちゃめちゃ信頼していた。いやそれ以上に、この人は魔法使いなのか!? と感動していた。だって魔法をかけたように、義足はどんどん「僕の足」になっていったんだから!

 


「おお!」「これは!」と言われる喜び


僕は前の項で、ひたすら歩く練習をしたと書いたけれど、それは中村さんがいてくれたから、というのも理由のひとつ。

義足の具合を確認するために、僕の歩行訓練を中村さんが動画撮影することがある。歩き方の様子を見て、どこかに負荷がかかっていないかなど、改善点を確認するためだ。

中村さんは、僕が上手に歩くと、とても嬉しそうにする。と言っても、それは周りの人にはあまりわからないかもしれないけれど。だって、「おお!」とか「これは!」と、ほんとにわずかに声を漏らすくらいだから。

でも、これは中村さんのウソのない本気の驚き、喜びだってことを僕は知っている。だから、もっともっと歩きたくなるんだ。

トップクラスのアスリートにとって、魂を込めて作ってもらった道具は体の一部だと聞いた。僕にとっての義足も、もはや体の一部だ。でもそうなると二人三脚で作ってくれた「中村さん」という存在も、僕の一部、ということになるんじゃないか? そんなことを言ったら、中村さんはどんな声を漏らすだろう。
 

3倍努力すれば、3倍早く目標に到達する


そんな出会いもあって、僕はめきめきとリハビリの効果を上げていった。そして、1年半のリハビリの予定を、宣言どおり3倍の早さの半年で終了した。

僕の無我夢中なやり方は、はた目には無茶に映ったこともあったと思う。でも、前のめりになって懸命に立ち上がったら、その勢いが大きなジャンプとなって、目的地に一気に到達したと感じている。

「立ち上がった」つもりが「ジャンプ」になっていたんだ。
 

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右腕と両足を失った東京パラリンピック聖火ランナーが「転ぶことを恐れない」理由_img2

『線路は続くよどこまでも』
(廣済堂出版)
山田千紘:著

電車に轢かれ、手足を3本失って見えた世界とは? 自分に「あるもの」だけで幸せになれると気づいた絶望と希望の軌跡。
 

 

 

構成/露木桃子