女の生き方は、背中に表れる。

その人がどう生きたか、何を美しいと思っているか、そのすべてが背中に表れます。

多様性の時代。もう何を選んでも、間違いじゃない。その代わり、正解も存在しません。だからこそ、どう生きるか日々迷いは尽きない。

もし目の前に、こんなふうに生きてみたいなと思える背中があれば、この暗がりも少しは怖くなくなる。穴ぼこだらけの道を、勇気を持って歩いていける。

そんな人生の先輩たちの背中を追いかける本連載。第1回目にご登場いただくのは、女優の浅田美代子さんです。

テレビの中の浅田美代子さんといえば、ちょっと天然ボケなところが愛されるお茶の間の人気者。でもその背中は、テレビで見る愛らしさはそのままに、さっぱりとしていて、すっと芯が通っている。カッコいい女の背中そのものでした。

 


40代で迎えた最愛の母との別れ


――9月15日に発売されたエッセイ『ひとりじめ』の中で、30代はたくさん恋をしたと語っていました。そこから40代を迎え、45歳のときにお母様が亡くなって。気持ちの面でも大変な時期だったと思います。

母の病気については突然のことだったので、辛かったですね。病院で寝泊まりする日々が続いて。仕事もセーブしようと考えていたら、病院の先生に「普段通りに仕事をしてください。休んだら、お母様がそんなに自分は悪いのかと思ってしまうから」と言われて。それで長期で東京を離れるようなロケの仕事はやらなかったですけど、普段通りに仕事をしていました。

 

――私たちは『さんまのスーパーからくりTV』を観て、浅田美代子さんに楽しませてもらっていたから、その裏側でそんなことがあったなんてと思いました。

『からくりTV』は辛かったですね。いつも病院を出てから深呼吸をして向かっていたのを覚えています。そうは言っても行ったら行ったで楽しかったし、気分転換になっていたのかなと後から思うんですけど。当時は、母親が入院していたことを誰にも話してなくて。

――唯一気がついたのが、親友の樹木希林さんだったとか。

母が急性リンパ性白血病だと宣告された次の日に希林さんと仕事が一緒で。私の顔を見るなり、「何かあったの?」って。驚きました。なんでわかったの?という感じですよね。普通にしていたつもりなのに。私の芝居がすっごい下手だったんでしょうね(笑)。

――浅田さんと樹木希林さんといえば1973年にドラマ『時間ですよ』で共演。以来、45年にわたって深い交流があったことで知られています。お母様の闘病を支える日々の中で、希林さんの存在は大きかったですか。

大きかったですね。お見舞いにもよく来てくれていたし、母もすごく元気づけられたと思います。中でも忘れられないのが、車を譲ってくれたんですよ。バンデンプラ プリンセスの改造車なんですけど、お母さんの世話をするなら小回りのきく車の方がいいからって。その気持ちがうれしかったし、その車に乗って病院に向かうだけで、なんだか希林さんが付き添ってくれているみたいでした。


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浅田美代子さん、チャーミングな笑顔ににじむ自然体の魅力
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