もちろん、仏教の開祖である釈迦が、墓や仏壇に魂を入れるよう説いたわけではありません。また、そうしたことを説いている仏典を探しても、見つかることはないでしょう。

仏教では、「無我」ということが説かれます。我とは、主体としての人間のことを意味します。そんなものは実は存在していないというのが、仏教の基本的な考え方です。これは、「般若心経」のなかに出てくる、「色即是空」のことを思い起こしてみると理解されるでしょう。

ですから、墓や仏壇に魂を入れるなどという考え方は、仏教の教えからは大きく逸脱していることにもなります。

 

しかし、多くの人たちが、墓や仏壇をただのモノとして考えているかと言えば、必ずしもそうではないでしょう。

これは、弁護士さんから聞いた話です。家が差し押さえになり、その家を解体することになったとします。その家に仏壇があったとしたら、解体業者は仏壇には手をつけないというのです。それで仕方なく弁護士が処分をすることになるのです。その際には、仏壇店などに依頼して、魂抜きをしてもらったうえで処分するということになるようです。

 

自治体の粗大ゴミのリストのなかには、仏壇も含まれています。したがって、仏壇を処分しようとするなら、粗大ゴミで出せばいいということにもなりますが、それに対する抵抗はあります。

まして墓となれば、その存在感は仏壇以上です。仏壇には遺骨はないわけですが、墓には遺骨が納められています。それが、墓じまいをためらわせる一つの原因にもなっています。逆に言えば、墓に魂を入れるという考え方が、墓じまいをためらわせる力として働いているということにもなります。

墓に魂を入れるなど、ばかばかしい考え方だ。そう考える人もいるわけですが、気にする人はどうしても気になってしまうのです。

墓のことが厄介なのは、こうした気持ちの問題がかかわってくるからです。