同調圧力をなくすためにできたほうがいい「あること」


同調圧力をなくすために大切なことは、人々が「同調」ではなく、「協調」できるようになることです。「同調」は、たとえ自分の意見は違っても、他の人の意見に合わせてしまうことで、「協調」は、自分とは違う意見の人と折り合いをつけることです。

 

もし自分がみんなとは違う意見を持っていて、協調し合いたい場合は、一方的に自分の言い分を押し通そうとするのではなく、相手の意見やそこに隠れた思いを理解した上で、「代替案」を出し、折り合いをつけることが大切です。
多くの人が、この「代替案を出す」ことをしないで、自分の意見ばかりを押し通そうとするから、話し合いが決裂することも少なくありません。また、自分で代替案を考えずに、相手の意見をただ拒否し、その人に代わりの答えを考えさせようとする人もいます。それでは、話し合いはうまくいかないでしょう。

自分とは意見が違う人に対しては、相手の案のメリット、デメリット、そして、自分の案のメリット、デメリットを明確にし、相手が望んでいるメリットを生かした代替案を考え、提案することが大切なのです。
単純な例でいうと、例えば5人でご飯を食べに行くとして、自分以外の4人が「とんかつが食べたいから、とんかつ屋に行こう」と言い出したとします。でも、自分はどうしてもとんかつの気分ではなく、グラタンが食べたいとします。そんなときに、「やだ!やだ!絶対に洋食屋がいい」と言ったら、みんなから総スカンを食らうでしょう。
それよりは、「もし可能であれば、ファミレスに行こうよ。それならとんかつもグラタンもメニューにあるし。ドリンクバーもあるから、ご飯の後、カフェを探さなくても、みんなでお茶ができるよ」と代替案を提案したら、OKしてくれる可能性は高まります。
現実的に折り合いをつける事柄は、この例とは違い、もっとお互いの利益や幸せに関わることが多々あるため、我慢をして同調ばかりしていると、損することがあるし、ストレスから心や体が不調になることも少なくありません。だから、言いなりにならずに、できるだけ自分の意見も通したいものです。

ただし、相手が少人数の仲間たちであれば、折り合いはつけやすいのですが、コロナ禍において、同調圧力をかける相手は誰かと言うと……「世間」です。
「どんなときにマスクをつけ、逆に、つけないほうがいいのか」「不要不急の外出とは、どこまでがOKで、何がNGなのか」など、さまざまなことがあいまいなまま、“自粛警察”という不特定多数の人たちが自己判断で攻撃をしています。
自分に同調圧力をかける相手が「世間」となると、一体、誰と話をし、折り合いをつけたらいいのか、分からなくなりますよね(苦笑)。そもそも、その「世間」とは、一体誰のことなのか……。

日本は「社会」以上に「世間」のほうが、存在感があり、影響力が強いところがあります。だから、場合によっては、社会だったら通用しないことが、世間というスケールになるとまかり通ってしまうことがあるのです。
例えば、「いじめはダメなもの」だと、社会では常識であっても、世間というスケールになると、みんなと違う人を排除することが正当化されてしまうことがあるのです。村八分なども、そうでしょう。

個人的な意見を言うと、「世間」というのは、“あるようで、ないような存在”だと感じています。そんな“得体の知れないもの”を怖がっていると、対処できないところも。
逆を言えば、自分の身近な人が理解してくれれば、それだけで心強くなれるし、十分なところもあるのではないか、と思うのです。
もしそうなのだとしたら、身近な人から説得して、より多くの人に理解してもらうようにしていくことで、精神的に「世間に負けない」こともあるのではないでしょうか。
そうやって自分の応援者を増やしていくことで、例えるなら「オセロの石を少しずつひっくり返して、自分の色を増やしていく」ように、味方が増えてくることはあるでしょう。
つまり、世間がどう思うかはわからないけど、「周りの人たちは、自分を理解してくれて、お互いに納得し合っている環境を作る」というのが、大事ではないかと思うものです。

ただし、どんなものも「100%の悪」がなく、それなりに「いいこと」もあるもの。同調圧力はいいものではありませんが、意外にもメリットもあるのです。それは何でしょうか。次のページで紹介します。